永山則男はともかく、池田小学校児童連続殺傷事件の宅間守と獄中結婚した女性の存在を知った時、なんだかいや~な感じがしたんだけど、この作品の小池栄子も物凄くいや~な感じが漂っている。新聞や雑誌の記事を切り抜き、ノートいっぱいに犯人の履歴をまとめる。自分の思いを書き連ねる。「自分と同じ匂いを感じる」などは詭弁で、アイドルにのめりこんでるオバチャンと変わらない。彼女にしてみればソレが偶々凶悪殺人犯だったに過ぎないということか。ラストの「接吻」の解釈は「誰でもよかった」という殺人犯同様、恋愛相手も「誰でもよかった」という意味なのかもしれない。結局はコイツ強烈な自己愛の持ち主なんだろう。
小池栄子はソレを極当たり前のように一切の誇張なくフツーに演じる。行動はまったく共感できないんだけど「わかってもらえなくてもいい!」という力強い開き直りで観客を拒絶する。また観客も拒絶するしかない。が、思わず引き込まれてしまう。物凄い嫌悪感を感じながらも、悔しいけど魅力的だ。久しぶりに俳優の『眼力』について考えてしまった。ただのTVタレント(もちろんタレントさんも尊敬してますけど)だと思ってたけど女優さんだったのね。いやはや御見それしました。
で、映画のほうなんだけど諸手を挙げて絶賛というわけではない。小池にここまで演技開眼させたのは万田邦敏の手柄かもしれないが、とってつけたかのようなホラー描写が興をそぐ。そんなん要りません。小池栄子をフツーに撮ってるだけで十分怖いです。この人、黒沢清の立教時代の映画サークル仲間だからこーゆーシーンを作っちゃうんだよなァ。そこが残念。あと劇伴がウザイのも困りもの。十分緊張感あるんだからそんなに音楽イランでしょ。「ノーカントリー」を見習いなさい。
それにしても小池、体格いいなぁ。旦那がプロレスラーだから一緒に鍛えているのかしら。巨乳に筋肉がついてる感じがいたします。
しかし若松はスゴイ。長谷川和彦が監督人生の三十数年を無駄にしてしまった呪われた企画をいとも簡単に成し遂げてしまったのだから。
何年か前、ゴジ版の「連赤」が自主映画レベルでの製作で立ち上がったことがあるが、当の監督が一方的に中止にしてしまったらしい。その規模でこの素材をやることに自信がなかったのではないか、と当時のスタッフに参加した友人から聞いたことがある。
今回の若松版はまさにその規模。あの時立ち上がったゴジ版が完成していたとして出来はソレに較べて遜色なかったのではないだろうか?十分に見ごたえがあり面白い!
権力に対して闘っていた者たちが身近な権力に対してはどーすることもできないアイロニー。そんなメンタルのニッポン人に最初から革命など無理なハナシだったことを冷静に見据えている。実はその視点はまさに当事者たちがお客さんだったころとなんら変わってないのをシネマヴェーラ渋谷の特集上映などでサイキン知ったわけだが…。
永田洋子よりも重信房子よりも『総括』に殺された遠山美枝子(坂井真紀)にウェイトが置かれてる作劇に感心した。いまわの際、遠山の脳裏によぎるのが親友の重信の姿…常に行動をともにしていたにも関らず一方はジャンヌ・ダルクと持ち上げられて一方は山小屋の中で発狂しながら朽ち果ててゆく。二人の運命を分かつものはいったいなんだったのだろうか…残酷な運命に思わず涙した。遠山に関らず、若松の視点は殺すものよりも殺されるものに向けられる。それは「赤軍―PFLP世界戦争宣言―」の赤バス上映で彼らを煽ってしまった贖罪なのだろうか。
「実録」ということで必要以上のドラマを作らない。起きた事件を、殺される人間を順番どおりに提示してゆく。そこでドラマを無理にブリッジのように作らない。3時間のランニングタイムの中でさらに観客に考えさせる余裕が映画に深みを与えている。
ほとんどが無名の若い俳優たちであることも素晴らしい。誰が生き残り誰が死ぬのか読めない緊張感がある。特に永田洋子役の女優は絶品だった。常に獲物を物色するかのような目の動きがいい。
今年公開した日本映画の中では現時点ではダントツの一位である。
渋谷シネマヴェーラで鑑賞。
いやぁ、これは珍品!しかもこんなさわやかな東映作品はじめて観た。キャストも星正人、長谷直美、佐藤祐介、テレサ野田、林寛子、ガッツ石松、滝田裕介、村野武範といった東映らしからぬ顔が並ぶ。コワモテがひとりも出てこない。敵役の岩城滉一が現れてやっと東映らしくなるが、星も岩城も本作がデビュー作。コレ、封切りで観た客は入ったコヤを間違ったと錯覚したに違いない。
冒頭、主人公の星正人が凄惨なリンチを受ける場面からはじまる。リンチをする側は「折り紙の兜」(なんで!?)を被っていて星を殴る蹴る。一方の星は殴られながら「ありがとうございます!」と叫んでいる。「いったいなんだよ」と思うが、どうやらコレは不良グループの「引継ぎの儀式(!?)」であることがわかる。
で、めでたく番長を引き継ぐ星だが、星はスポーツ万能の優等生。とても不良に見えない。確かにルックスはいいのだが、どう観ても東宝キャラ。おまけに台詞はほとんど棒読み。本作で売り出そうとしている星正人のアイドルぶりはすさまじく。番長で、アメフトのエースで、キャバレーのギター弾きで、ボクシングジムのプロ候補生で、おまけにバキュームカーでの汲み取りのバイトまでしていて、まるで「華麗なる挑戦」の悦ちゃんばりの七変化。
番長・星の「改革」がはじまる。星が引き継いだ不良グループは生徒会に協力する形で他校の不良から生徒を守る「自衛隊」になろうとするものだ。さらに彼らは「愛される不良」を目指す。万引きしたら「金を払え」、「無駄な暴力はふるうな」、挙句に「授業中は静かにしろ」と子分どもを一喝。どんな不良だよ。多分、星についていけない不良たちが他校のスパイになるプロットなんだろうなと思う。いかにも東映的な展開。ところが子分たちは皆、星に従順で裏切る気配はまったくない。タイトルの「暴力学園大革命」とは荒廃した学園を「真面目に改革」することだったのだ!たしかに「大革命」ではあるわな…。でも、それでいいんか、東映!
で、ドラマの確執は、暴力では何も解決しないとする佐藤祐介の生徒会長と、時として正しい暴力は必要だとする星正人の主張の対立に絞られてくる。しかも星も佐藤も童顔。おまけに長谷直美もテレサ野田もメチャクチャかわいいので、だんだんまるでユニオン映画や東宝製作の日テレ青春ドラマを見てる気になってくるのだった。まさに「青春讃歌」。
どうやら、テーマは「憎しみの連鎖から何も生まれない」というもので、9.11からイラク戦争に至る今日ならヴィヴィッドなテーマなのだが当時の「やられたらやりかえせ!」を錦の御旗に掲げる東映作品の中では異色中の異色。まさに当時のゆるいテレビドラマの「ザ・ムービー」版の趣き。それを内藤誠はいかにも70年代青春ドラマっぽく演出してるのにはほとほと感心。どこまで器用なんだ!「チキショー涙ってヤツは、どうしてこんなに簡単に流れてきやがるんだ!」というラストの台詞には大爆笑。小椋桂の主題歌とともに四行詩が出てくるかと思った(爆)。嗚呼「青春讃歌」…。
特にエピローグ、娘や孫たちに見送られての母べぇ臨終まで描く必要はまったく感じられなかった。しかも成長した「ハツべぇ」が倍賞千恵子で「テルべぇ」が戸田恵子(全編に渡る言わずもがなのナレーションも兼ねてる)って…。大体コレ、黒澤組の名スクリプター野上照代の実話が原作でしょ。なんでテルべぇが美術教師なんかしてるのよ。映画のスクリプターでいいじゃん。業界人に特化せずむりから市井の人の話にしようとしてるのが逆に「赤旗」くさいんだよなァ。それに壇れいを原爆で殺してしまうのも同様。三津五郎、浅野だけで十分でしょ。
もちろん何気ない描写には唸ったし、三、四回泣かされたけど、感心はすれど心の底から感動はできなかった。
かの成瀬巳喜男は現場で台本の台詞をひたすら削っていったと聞く。今回だって映像と芝居で十分に表現できてるのに妙に上から目線の説教臭さを感じてしまうのだ。ほとんど他人の映画を見ないらしいから、ひょっとして山田洋次という人は自分が日本で一番巧いということに気付いてないのではないだろうか?ある意味、天才版「裸の王様」だと思う。イエスマンばかりで固めたスタッフは気づいていても何もいえないのかもしれない。
そうそう、子役は素晴らしかった。特にテルべぇ役の佐藤未来はスゴイと思った。泣き虫ハツべぇの志田未来もイイ。勿体無いのは松竹の宣伝。志田未来が全編に渡って出てるのがちゃんと伝わってるのかしら?劇場にはジイサンバアサンがほとんどだったぞ。若い人にこそ見てもらいたい映画なのに観客を勝手に絞ってないか?つくづくダメな会社だと思う。
エピローグ以外のキャスティングはどれも素晴らしく。特に浅野忠信は演技賞を独占するのではないかしら。もし、この役が吉岡秀隆ならぶち壊しだったと思う。そのユーモア、間、絶品でございました。三津五郎も鶴瓶も中村梅之助も鈴木瑞穂も笹野高史も見事にはまっている。もちろん吉永小百合も悪くはないのだが浅野と互いに恋愛を意識するという役柄は年齢的にどーかと思う。どーみても母子にしか見えないゾ。
これから「28週後」見ようと思ってる人はスルーしてください。
前作は見てないけど単独で十分楽しめる。やっぱ映画はこーでなくっちゃ!「ハリポ」や「指輪」や「パイレーツ」は前作見てないとさっぱわからんもんな。
この映画、噛まれたらあっという間にゾンビ(で、あってる?)になっちゃう、しかも走って(!)追いかけてくる。映画自体が走ってるかのような印象を与える。確かにテンポはいい。ところがテンポがいいのにちっとも面白くないのだコレが!
もちろん見せ場満載なんだけど、編集がガチャガチャしすぎでせっかくのスプラッタ描写がじっくり見れない。これは、アレっすか?DVDが出た時にスロー再生でじっくり見なさいってことスか?
「28週後」のロンドンには駐屯している米軍の監視体制が敷かれてるんだけど、そいつらやってることがメチャクチャで、感染者と疑わしき者がいれば非感染者もふくめてまるごと隔離するわ、ゾンビだろうが民間人だろうが平気で撃ち殺すわ、収拾がつかなくなるとナパームで焼き尽くすわのやりたい放題。「社会批判」もあるかもしれないがドラマの乱暴さはその「米軍」となんら変わらないような気がしてヒジョーに不愉快だった。見てるうちになんだかどんどん鬱になってきた。
大体、誰に感情移入していいのかさっぱわからん。
実の父親がゾンビに変身して母親を殺して追いかけてくるんだけど、それだけでいくらでもドラマが出来るじゃん。にもかかわらず、オヤジがゾンビになった段階でガキどもがゾンビと割り切ってる徹底逃げるだけ。…ソレって面白いのか?
で、オレが好きなホラー映画はタメがなきゃダメだということが判明。例えば「ホステル」にしても「ヒルズ~」にしてもこっちが感情移入できるタメがあった。「ゾンビ」だってノンストップに見えてちゃんとキャラクターを押すタメ描写があった。サイキン一番怖いと思った「インベージョン」なんかタメだらけだったぞ!
そうなのだ。ホラーが観客に恐怖を共有させるためには絶対タメが要るのだ。ドラマに感情移入出来ないとそこで何が行われようが「勝手にしなさい!」という気分にならないか。
もちろんホラー映画にもいろんな方法論がある。スラッシャー側の視点から快楽殺人を描いたのもあれば、徹底理不尽な世界の面白さを追求したのもあるのも知ってる。でも、今回はどこをどう面白がればいいのか怖がればいいのかさっぱわからなかった。ヘリのプロペラで肉片になるゾンビをひたすら笑えばいいだけなのかしら…。
でもやっぱ、ちっとも怖くないんだなァ。これはジャンル的にはSFアクション映画なのかしら?ならばホラーのつもりで怖さを求めて観に行ったこっちが間違いなんだけど…。
メチャクチャ期待したんだけどね。
「ラスト」は「LAST」ではなく「LUST」、「最後」ではなく「色情」。中国語題名は「色、戒」。たぶん「最期の戒め」を掛けてるんだろうケド。二時間四十分、途切れることのない緊張感。数十年前の原作だからプロットそのものに新味はないが、シンプルであるがゆえ強靭な映画世界を構築している。
死と隣り合わせのセックス、死と隣り合わせの快楽…「ブロークバック・マウンテン」の延長線上にある「愛の心理劇」だが性愛描写の迫力が「快楽が立場を超えてゆく」説得力を持ち「ブロークバック~」のはるか上を行っている。
井上真央のようなロリフェイスのヒロインの最初のおっぱいが見れるまで一時間掛かるのだが、中盤あたりからダムが決壊するかのように凄いことになってしまいます。しかし中国の清楚系の女優が脱ぐなんて昔では考えられなかったよなァ。ただボカシが残念。この程度のヘアって解禁になったんじゃなかったっけ?
アイリーン・チャンの原作は読んでないけどどこかドストエフスキーの「悪霊」の影響を受けてるのではないだろうか?大学生たちの最初の殺人で相手がなかなか死なないのがリアルで、彼らの後戻りできない感も納得させられる。
そう、この映画に漂う「後戻りできない感」が絶妙でソレはセックスの刹那に通じる。なるほど、だから最初の処女喪失シーンはあんなにぎこちなかったのか。しかもほとんど乳首が見えないし。いや、あの黒くてでかい乳首はとてもバージンに見えないから「演出」かもしれない。いずれにしても中盤からのセックスシーンの「あとがないんじゃ、あとが!」感は素晴らしいモノがありました。
あ、エロ部分だけしかレビューしてない。コレ、少しでも心理ゲームの部分に触れるとネタバレになってしまうので、まずはエロ目当てに見て映画そのものに感動してください。
しかし、高いハードルの仕事見てしまったなぁ…。ちょっと自信喪失気味になってます。
亡き妻の人格をダウンロードされた女子大生とともに逃亡する医者の逃避行なんだけど全体的に緊張感に乏しいのがなんとも残念。人格をダウンロードされたら強くなるという強引な設定は「バカ映画」馴れしてるので全然OKなんだけど、根が真面目のカッシーさんは「バカ映画」にするつもりは毛頭なく、かといって「夫婦愛」とか「ボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリー」をやりたいわけでもなく、かといってジェットコースタームービーのようなスピード感もあるわけでなし、物語の面白さを補強するためのキャラクターがすべて記号化されていて、そのことに対して開き直ってるかと思いきや、どうやら別のところに作者の思い入れがありそうでソレは残念ながらこちらには伝わらなかった。
山崎真実は「二役」をやってるわけだから役者としてはやりどころがあるにも関らず彼女自身そのことにはまったく興味がなさそうで人格が入れ替わっても同一人物に見えてしまう。それは彼女のせいではなく申し訳ないが樫原監督の所為でないかと思う。山崎演じるヒロインの元のキャラクターが見えないのは困りもの。女子大生だという彼女には当然家族もいるだろうし恋人もいたかもしれない。こんな理不尽なことに巻き込まれてるのにも関らずまったく感情移入が出来ないのは問題だと思う。
この映画はヒロインの主観ではなく萩原聖人の視点で見るべき映画かもしれないが、これも感情移入はまったくできなかった。亡き妻(鈴木砂羽)との思い出を引き摺る男という設定なんだけど「チャーシューワンタンメン」は二人の幸福を象徴する小道具としてはあまりにも取ってつけた感がする。それに気になってしまうのはこの「二人の会話」が「夫婦の会話」ではなく「お客に聞かせる会話」だということ。やっぱ、この夫婦がちゃんと見えないと「物語」には浸れないんですよね。もう少し夫婦側の問題を物語が始まる前に作ってたほうがよかったのではないでしょうか?旅の過程で問題を解決するのがロードムービーの基本だと思うんですよ、アタシは。
いや、驚いた。これは「長江哀歌」よりはるかに傑作です!去年見てたらベストテンに入れてたかも…。
70年代の家族の一代記なんだけど、まったくもって予測不能。
薬品工場で瓶洗いの仕事をしているヒロインが突然空から降ってきた(!)演習中のパラシュート部隊の隊員に一目ぼれ。入隊を希望するものの試験に落ちて、それでもあきらめきれず自作のパラシュートをチャリに括りつけて往来を走る(迷惑だって!)。パラシュートは母親に捨てられるんだけど、ソレを拾った男から取り戻すために大胆にパンツを脱ぐ(狼狽した男は思わず猟銃で自分の足を撃ったりする)。そんな予測できない少女の行動をカメラは淡々と見つめる。なるほどコレはブレッソンの「少女ムシェット」の中国版なのね。ところがソレすらも映画は裏切る。突然彼女はそれまで画面に一切出てこなかった冴えない男と結婚してしまうのだ(しかもチャリンコでお嫁入り)。まだ映画が始まって40分ほどだ。どーするんだと思ってたら映画は再び冒頭の一家の食事シーンに戻る。今度は知恵遅れのデブの長男が主人公になって別の物語がはじまるのだった。
知恵遅れだけあってもっと行動は予測できない。何かやらかすたびに半殺しのメにあうのも中国的で笑ってしまう。それでも両親の愛情の注ぎ方は異常で、そのせいで妹や弟は肩身の狭い思いをしていて、妹の奇行はそのことが原因なのだとわかってくる。兄を毒殺(!)しようと妹と弟は計画するのだが寸前で母親にバレる。夕食の席で母親は兄の可愛がってるアヒルに毒を無理矢理飲ませ苦しむアヒルを見せて彼らの残酷さを知らしめるのだった(この母ちゃんも異常だよ!)。ちなみに毒を飲ませてアヒルが死ぬまでワンカットの長まわしだ。さすが中国映画、動物愛護協会なんか怖くもなんともない。
終章はまた冒頭の家族の食事シーンに戻り、末の弟を主人公としてそれぞれの登場人物の顛末が語られてゆく。デブあんちゃんは東北の田舎から買ったと思われる娘と結婚して屋台を出す。オネエチャンは離婚して家に戻り落ちぶれたパラシュート隊員と再会。不倫の末結ばれる。弟は都会に出てチンピラになり指をつめてカタギになりヨメハンとガキを連れて家に戻ってくる。ちなみにその時、家族がテレビで観てるのは健さん主演の「君よ、憤怒の河を渡れ」だったりする。
けっして共産党政府の模範になるようなことはないダメ一家なんだけど、愁嘆場は極力省略し必要最小限の情報提示だけで、ひたすらたくましい庶民の静かなバイタリティを感じさせる。見事だ!
監督の顧長衛(クー・チャンウェイ)は「赤いコーリャン」「覇王別姫」などで知られる中国映画最高のカメラマン。ハリウッドに招かれてアルトマンの「相続人」なんかも撮ってるんだけど本作は初監督作品。本作でデビューした主演のチャン・チンチューは「ラッシュアワー3」にも出てたが「七人の侍」のリメイクにも主演が決定してるらしい。(て、ことはチャン・ツィイー降りたの?)
しかし、中国はわからない風習だらけ、見えない心情だらけだ。ホントに中国映画なんか書けるのだろうか…不安である。
田村正和は世界的なサックスプレイヤーだったのだけど、仕事にかまけて妻の高島礼子の癌に気づかず死なせてしまって以来、友人の片岡鶴太郎の旅行代理店に勤めている。
ある朝、田村がゴミを出したら伊東美咲の清掃員(!)とトラブル。美咲はゴミの分別が出来てないと田村をなじるが田村は逆ギレ「ゴミ屋」とののしる。キレた美咲は颯爽とその場で作業着を脱ぎ捨ててスーツ姿に!「あんたこそゴミ親父よ!」と啖呵を切るのだが、ちょっと待て。なんで作業着の下にスーツ着てるんだよ!(お前は007にでてくるヒロインか!しかもなんでその場で脱ぐんだ!)
伊東の正体は神奈川県庁の清掃局の職員で実地調査をしていたらしい。役所に戻ると上司の山崎一から予定していたニューヨークの会議に代わりに出てくれといわれる(いきなりかい!NYで会議ってどんな県庁やねん!)。さすがの美咲も「何の用意もしてないから」と断るのだが婚約者の細川茂樹と箱根旅行のためのボストンバッグを持ってきていたため(んなもん会社にもってくんなヨ。まぁ製作部的にこれで衣装は大丈夫!)渋々ニューヨークに向うのだった。(よくパスポート用意してたなぁ)
一方、田村もニューヨークツアーの添乗員に空きがでたから代わりに搭乗することになり(ンナ、アホな!)、二人は飛行機で再会。「あーゴミ女!」「あーゴミ親父!」二人は通路を挟んで隣同士に…。「偶然が重なればそれは運命なのだ」(by YOSHI ウソ)
ニューヨークでの田村の仕事が紹介される。二階建てバスでツアー客相手に「添乗員の阿川です」と自己紹介してるが椅子の背に肩をまわしてあきらかに舐めた態度。とても客商売とは思えない。しかも田村が仕事らしい仕事をしてるのはそのワンカットだけ。
セントラルパークで死んだ女房を思い出して独り黄昏に耽ってる田村(…仕事せぇや。何サボってんねん!)。そんなときまたも「偶然」にやってくるのが伊東美咲(お前も仕事せぇや!)。二人は何の説明もなく互いの身の上話を聞くような間柄に…。ここでもツッコミ満載珍奇な台詞満載なのだが先に進む。
ホテルに戻った美咲に婚約者から電話。「もう、別れよう」「え、なんで!?」(ホントになんで、だよ!?よっぽど箱根を楽しみにしてたのか?ちいせぇヤツだな、細川)「俺は君の計画通りには生きられない」(あ、コッチが理由ね。それならわかる。たしかに勝手にニューヨークで式挙げるとかで教会を独りで決めるようなヤツだからな、美咲は)ショックを受けた美咲は大事な会議をすっぽかし(何しに来たんだよ)ホテルの部屋でウィスキーボトルを何本も空けて酩酊状態。ロビーで美咲の部下と会った田村は美咲の様子がヘンだという情報を聞き「よし、わたしが行こう!」と彼女の部屋へ…。(なんで、お前が行くんだよッ!理由がないだろ理由が!!)
ここで驚きの事実が出てきます。NYのインターコンチネンタルホテルはいまどきオートロックでもなんでもないのだ!田村はノックをして反応がないのでフツーにドアを開けて中に入っていきます。そこにはテラスから身を乗り出してる美咲の姿が…(しかしなんて危険なホテルなんだ、インターコンチネンタルってトコは)。
美咲の投身自殺を救った田村は馴染みのジャズクラブに連れてゆく。そこで演奏する黒人ジャズメンたちがステージから田村に呼びかける。「アキラ、アキラじゃないか」「NYに帰ってきたのか」「是非演奏してくれ」最初は嫌がっていた田村ものこのこステージに上がる頃にはすでにまんざらではない様子でサックスを吹き始める。曲は「ビギン・ザ・ビギン」。
俺、あんまり音楽に詳しくなく演奏の良し悪しは全くわからないのだが、本作のため田村が特訓したという「ビギン・ザ・ビギン」はまるで「ラーメン屋のチャルメラ」にしか聞こえない!いや多分、玄人目にはスゴイのだろう。会場で偶然演奏を聴いた凄腕プロモーターのユンソナ(なんでユンソナ!)は田村の「全米横断ツアー」(お、大きく出たねぇ)を企画するぐらいだから。
さて、日本に帰って日常がはじまる。田村には娘がいて(演じるはTV版「ちびまるこちゃん」)彼女はピアノ教室で友だちになったお姐さんを連れてくる。それがまたもや伊東美咲。「偶然が何度も重なるほど運命はその強度を増すのだ」(by YOSHI ウソ)
二人はとうとう恋に落ちる。歳の差を越えて燃え上がるのだが、セックスシーンはない。まったくない(それは伊東が嫌がったというより田村が「脱ぐのを嫌がった」のかも?何しろ大スターさんだから)。お互い恋仲であっても一歩が踏み出せない。女房を死なせたことによる罪悪感で恋に臆病になっているのだ。(女子中学生か、オマエは!?)
ここから物語は急変する。田村は癌で余命三ヶ月なのだ。本人に堂々と告知する医者のなんという潔さ(ひょっとしてサドか!?)。悲しみにくれながら田村は埠頭の倉庫街でサックスを吹く。音色はやっぱりチャルメラだ。吹き終わって号泣する田村。遺されるちびまるこを思ってか?いや違う。自分のために泣いていたのだ。その証拠に彼は残された人生を自分の夢に賭けるためNYに旅立つのだった。(なんて勝手なヤツ。)
ま、ストーリーだけ追いかけるとこんなカンジ。それだけでも笑えるんだけど、田村正和は思いれたっぷりに演じその独特な台詞廻しが爆笑を誘うのだ。
「俺の時間は過去だよ、君の時間は未来じゃないか」
「恋には覚悟が必要だよ」
「君のおかげで人生にけりをつけられそうだ」
「人を好きになるのに右往左往しなかったら、好きになる意味がないだろう」
「生きてることが苦しいと思う…しかしそう思いながらも生きるしかないんだ」
「恋には命を賭ける、結婚には幸せを賭ける…ところが君の場合どちらかはない」
「俺は若い相手には優越感しかないんだよ…人生を十分に生きてきたからな」
「皮肉なもんだな…女房と同じ病気で死ぬなんて」
こうして字にするとおかしさは余り伝わらないが、田村正和が独特の間と身振り手振りをまじえながら語るとまるで時代劇の所作のように見え爆笑してしまうのだ。
台詞を受けてるだけの田村もすごい。相手の芝居なんか受けてない。自分がどのように映っているかだけが最優先されているのだ。相手役は木偶の棒であればあるほどいいのだ。だから伊東美咲なのだ。それゆえ器用な子役には愛情のかけらもない。
鶴太郎とスナックで飲んでて倒れるシーンがあるのだが、そこでの田村の演技がすごい。フツーに倒れればいいだけなのに、まるで大部屋の斬られ役のように見栄を切って倒れるのである。ぶははははは!!!!!!
すごい、すごいぞ田村!すごいぞ正和!さすが板妻の倅だ。
これはラブストーリーではない、いや映画でもない。もはや「田村正和」というひとつのジャンルである。世間的な常識が無視され「田村正和」という宇宙でしか通用しないルールがそこには存在している。
すごい、すごいぞ田村正和。すごすぎるぅう!!
是非「ラストラブ」の続編を作って欲しい。主人公が死んでいても構わない。「実は双子の弟がいた」という昔懐かしい設定がこの映画なら違和感なく活きるに違いないから。
「ハリー・ポッター」ってなんだかんだいって全作観てるけど、基本的に興味ないから前作がどんなんだったかさっぱり憶えてなくて今回も置いてけぼりでございました。ただ単純に前作の続きではなく、管理教育で生徒を苦しめつつ校長にまでなってしまう新任教師(「ヴェラ・ドレイク」のオバサン)と、ハリーと仲間たちが対決するというのがメインプロットになってるので楽しめました。ハリーが先生になって仲間たちに魔法を教えるのを見ていて「ああ、学園モノなんだ」とあらためて思いましたよ。ファンタジーは嫌いだけど学園モノはケッコー好きだったりします。
さて子役の悲しい性か、ハーマイオニーってどんどんケバいブスになってきましたな。なんだか製作者側も原作者も彼女の成長をあきらめて、ハリーには別の恋人をあてがったりサブキャラの不思議ちゃんを作ったりで苦労が偲ばれます。また、逆にロンがかっこよくなっちゃったもんだから弄られキャラを新たに作ろうと必死です。恐らく原作者のオバチャンもそんなこと考えながら原作書いてるのに違いないと思います。
ところでこのシリーズ、ゲイリー・オールドマンもエマ・トンプソンもレイフ・ファインズもヘレナ・ボナム・カーターも当初はゲストのつもりで出たのが原作の所為で降りるに降りれないようになった事情がなんとなく見えてきます。
「オーシャンズ13」は「12」観てないので不安だったのですがこれは続き物ではなく一話完結なんで安心しました。ところがキャラの説明がまったくなくはじまるので、誰が仲間なのかさっぱりわかりません。しかも全体的にガチャガチャしてるのでまるでダイジェスト版を見てるようでした。作り手はテンポを重視してるつもりなんでしょうがまったく誰にも感情移入が出来ないのは困りものです。なんで丁寧にエピソードを重ねるという当たり前のことが出来ないんでしょう。
こういう映画は敵の裏をかくようなコンゲーム的要素が必要だと思うのですが、全然そーゆーことはなく手口は「ルパン三世」のように乱暴なガテン系でまったく頭を使ってません。つい先日、中学生がこのシリーズを真似て泥棒をしたという事件がありましたが、なるほど頭の悪い中学生でもこれなら出来そうです。イカサマサイコロを作るためにサイコロ工場にバイトしたりして下準備にむちゃくちゃ金と時間を掛けてますがね。
それでも出てる役者が豪華絢爛で「あ、あいつも出てる、こいつも出てる」といった具合に興味が尽きないんですよね。でも、これってハリー・ポッターと同じでワーナーも今更引くに引けずヤケクソになってるんじゃないかしら。もってけドロボーて感じで…。
それでも人気者たちがちゃんと同一画面に収まってるのがすごいと思いました。いや、ひょっとしてCG合成かもしれませんね。なんとなく単に出てるだけという感じですから。キャラも全然立ってないですしね。
ところで「13」の13人の内訳がさっぱりわかりません。オーシャンを入れての本来の11人にアンディ・ガルシアを加えてもあと一人足らないですよね。マット・デイモンに誑しこまれるエレン・バーキンのことなのかしら?それともターゲットのアル・パチーノも入ってるのかしら?もう、何がなんだか。
豪華なのに安い、そーいえばちょうどフジテレビが作る映画ってこんな感じですよね。だとしたらCXの戦略は世界照準なんですかね。頭の悪い観客には見た目豪華な頭の悪い映画ってコトで。
名画座とはいえお正月らしい二本立てでございました。





















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