「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」
山田太一作品では珍しくないようですが、「岸辺のアルバム」の脚本(大和書房)には、ト書きに細かい指定が見受けられます。たとえば22ページで、夫の帰りを待ちながら妻・則子(八千草薫)がテーブルで雑誌の切り抜きを整理している場面には、(雑誌は、「暮しの手帖」水準のもの)と補足されています。下世話な雑誌にも、主婦が切り抜いて保存しておきたくなるレシピなどが載っていることはあるかもしれませんが、商社の部長クラスの家庭にふさわしいのは「暮しの手帖」なのだろうと、読んでいて妙に納得しました。
わが家は部長クラスではなかったけれど、しばらく「暮しの手帖」を購読していた時期がありました。電気洗濯機を買い換えるために商品テストの載っている号を買ったのがきっかけで、本棚にならぶようになり、子どものわたしも拾い読みしていました。1980~84年ごろのことです。映画とテレビドラマのページは必ず読んでいました。ニュースキャスターの古谷綱正さんが映画時評で取り上げる映画は、隣りの市の映画館にも滅多にかからない、岩波ホールの単館上映ものが多かったので、時評は読んでも実際に見に行くことはほとんどありませんでした。反対に、大橋恭彦さんの「テレビ註文帳」という連載で取り上げられるテレビドラマは、自分で選んで見ていることが多かったです。全国ネットの番組なら、電波事情が悪くない限り、どこに住んでいても見られるところが映画とテレビドラマの大きな違いです。「テレビ註文帳」では、「終りに見た街」、「夕暮れて」、「冬構え」、「真夜中の匂い」などの山田太一作品がしょっちゅう対象になっていました。再放送で「岸辺のアルバム」を見たのも84、5年だったと思います。大橋恭彦さんは月刊「映画芸術」の編集発行人で、本来映画が専門の方ですが、そんなことは知らずにテレビ評を読んでいました。
2つの連載以外で毎号楽しみだったのが、石井好子さんの「東京の空の下オムレツのにおいは流れる」です。今回、単行本(暮しの手帖社)を買って読み直しても、文章の魅力は相変わらずでした。基本は料理についてのエッセイですが、タイトルがジュリアン・デュビビエ監督の映画「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951年)と主題歌のシャンソンのもじりになっているだけでなく、映画の話題もところどころに出てきます。「父とアラン・ドロンとスープ」の章は、雑誌掲載時に読んだ記憶があります。当時まだ「太陽がいっぱい」(1960年)を見たことがなかったので、映画の中でアラン・ドロンとモーリス・ロネが魚料理を食べるシーンの描写を読んで、見たい気持ちが余計にふくらみました。その描写のすぐ前に、同じく魚料理を食べるシーンが印象的だったスパイ映画の話が出てきて、題名を忘れてしまったと書いてあります。これはヒッチコック監督の「三十九夜」(1935年)ではないでしょうか。ロバート・ドーナットが助けてくれと頼まれた女性を自宅に連れ帰り、一日何も食べてないという彼女に、魚を焼いて食べさせる場面が始めのほうにあります。ジョン・バカンの同じ原作が数回リメイクされていますから、そのどれかかもしれません。
「三十九夜」といえば、数年前にイギリスでスラップスティック調のスプーフとして舞台化(パトリック・バーロウ脚色)され、オリビエ賞を受賞しました。最近ブロードウェイに移植されたものも好評だそうです。まもなく発表されるトニー賞候補に名前があがるかもしれません。日本でも上演してもらいたいものです。




















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