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2008年1月記事一覧

「死の勲章」

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「安息の地」(1986年)を見ていたときに思い出したTVムービーがあります。邦題は副題も含めると「死の勲章~亡き息子にささげる母の鎮魂歌」(1979年)と長いのですが、原題は"Friendly Fire"といいます。C・D・B・ブライアン著「友軍の砲撃」(草思社)というノンフィクションの原作に基づいた作品で、これもNHK総合で放送されました。

アイオワ州の農家ミューレン家に、長男マイケル(デニス・アードマン)がベトナムで戦死したという報せが届きます。母ペグ(キャロル・バーネット)と父ジーン(ネッド・ビーティ)は戦死したときの状況を教えてほしいと軍に頼みますが、望んだ情報は得られず、何度も掛け合ううちに嘘の答えで誤魔化されていることが分かってきます。軍の姿勢に疑問を抱いたペグはベトナム反戦運動にのめりこんでいきますが、ジーンはそんな妻を理解できません。ミューレン家は近所の人たちから村八分に近い扱いをうけるようになります。一方、ジャーナリストのブライアン(サム・ウォーターストン)が協力してくれたおかげで、マイケルの戦死は友軍の攻撃によるものだったことが明らかになります。ペグはますます運動に力を入れ、反戦運動のシンボルになるのでした。

ベトナムに限らず、どんな戦争にも味方の攻撃による死者はつきもので、「戦火の勇気」(1996年)のデンゼル・ワシントンのトラウマも湾岸戦争のとき誤射で味方を死なせたことでした。「安息の地」も同系統に入るでしょう。「死の勲章」では、愛国的な家庭の主婦が息子の戦死をきっかけに変貌をとげるわけですが、死因がfriendly fireだったことで、軍はそれを隠そうとし、母親は虚しさをより強く感じるという風に描かれていました。

「死の勲章」が放送されたころ、うちにはビデオデッキがなくて一度見たきりですから、記憶違いもあると思いますが、ミューレン夫妻に扮したバーネットとビーティの演技がすばらしかったのは確かです。ことにバーネットが印象的で、「華氏911」(2004年)のライラ・リップスコムさんや、イラク戦争のニュース報道でシンディ・シーハンさんを見たときも「死の勲章」における彼女の演技がダブりました。原作者の役を演じたサム・ウォーターストンは、「キリング・フィールド」(1984年)のシドニー・シャンバーグ役を見たときに、この作品での彼がダブりました。同様に、<生き残った次男>という役どころが似ているので、のちに「普通の人々」(1980年)を見たとき、本作でマイケルの弟役だったティモシー・ハットンが浮かびました。日本で「死の勲章」が放送されたとき「普通の人々」はすでに公開されていましたが、わたしは見逃していたため、結果的にアメリカでの公開順に見ることになったわけです。キャロル・バーネットに関しては、これを見たあとで「フロント・ページ」(1974年)の娼婦モリー役や「アニー」(1982年)のミス・ハニガン役を見て、もともとコメディの得意な女優だったのを知りました。ジュリー・アンドリュースと組んだショー番組も、のちにNHKで見た記憶があります。

「死の勲章」の脚色を担当したフェイ・ケイニンは、夫のマイケル・ケイニン(ガーソン・ケイニンの兄)と組んで映画や舞台劇の脚本を手がけています。舞台劇の1つに「羅生門」に基づいた"Rashomon"があります。"Rashomon"は原作どおり京都が舞台で登場人物も日本人でした。これをマーティン・リット監督が映画化した「暴行」(1964年)は、西部劇に仕立て直されているそうですが未見です。ぜひ見てみたい映画の1本です。原作どおり真相は藪の中で終わるのか、「戦火の勇気」のように真相が明らかにされるのか気になるところです。

「安息の地」

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ジョン・リスゴー出演、ジョン・コーティ演出のTVムービーをもう1本ご紹介します。"Redwood Curtain"より10年ほど前の作品です。

「安息の地」(1986年)はベトナム戦争の最中の話で、南部のある町に、黒人中尉ジョンソンの亡骸を収容した棺が列車で到着するところから始まります。リスゴー扮するレアード少佐は、「友よ、風に抱かれて」(1987年)のジェームズ・カーンのように戦死した兵士の埋葬を受け持っています。レアードは棺に付き添って初めてこの町にやってきたのです。埋葬する手続きをはじめると、軍人墓地は白人専用で黒人は受け入れられないと拒否されます。ジョンソンの両親(モーガン・フリーマン、CCH・パウンダー)の希望は揺るがないので、レアードはジョンソンが戦死した状況を彼の部下から聞き出し、名誉の戦死であったことを証明して例外を認めさせようとします。しかし、部下たちは口ごもりがちで、何かを隠している様子です。レアードは部下たちを一堂に会させます。

ここまででピンときた方もいらっしゃると思いますが、このTVムービーの筋書きはエドワード・ズウィック監督の映画「戦火の勇気」(1996年)と共通点が多いです。ベトナムを湾岸に変え、黒人兵を女性兵(メグ・ライアン)に変え、彼女の戦死の状況を調べる人物(デンゼル・ワシントン)に戦場でトラウマを負ったという設定をプラスすると、かなり似てくると思います。さらに、「戦火の勇気」は「羅生門」(1950年)風のフラッシュバックを多用していましたが、最終的に真相が明らかにされて残りの回想は嘘だったことが分かるので、フラッシュバックは無駄に映画を長くするばかりのように見えました。わたしの好みにはストレートな語り口の「安息の地」のほうが合っています。

「安息の地」はNHK総合で吹替版が放送されました。92年ごろだったと思います。今年に入ってから「レスティング・プレイス 安息の地」のタイトルでDVDが出ました。Treasure Hollywoodというレーベルの第1弾だそうです。興味を持たれた方は「戦火の勇気」と比べてみてください。

なお、リスゴーの役名が"Redwood Curtain"と同じレアードなのは偶然か、もしくは作り手の遊びだと思います。「安息の地」はWalter Halsey Davisという人のオリジナル脚本で、"Redwood Curtain"に彼は関わっていないようですし、リスゴーの演じた養父はランフォード・ウィルソンの原作戯曲では会話の中に登場するだけなのです。

"Redwood Curtain"

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「ガープの世界」(1982年)の主役は当初ジェフ・ダニエルズが演じる計画もあったそうです。彼とジョン・リスゴーの共演は、翌年の「愛と追憶の日々」で実現し、ダニエルズがデブラ・ウィンガーの夫、リスゴーがウィンガーの浮気相手を演じていました。2人は"Redwood Curtain"(1995年)というTVムービーでもう一度共演しています。アメリカの裕福な家庭の養女として育ったヒロインが自分のルーツを探す物語で、ベトナム戦争後遺症ものの一種でもあります。

ジェリー(レア・サロンガ)はコンサート・ピアニストとして将来を嘱望されており、やさしい養父レアード(リスゴー)とチャリティー活動に夢中の養母(キャサリン・ヒックス)に何不自由なく育てられていましたが、自分の出生について詳しく知りたい気持ちを捨て切れません。養子あっせん所からは、父親はアメリカ兵、母親は花屋を営むベトナム人としか聞かされていなかったのです。レアードもベトナム帰還兵であり、長い間アルコールの問題を抱えていました。ある日、彼はアルコールが原因の発作で亡くなります。彼の遺品から実の父親のヒントになりそうな情報を得たジェリーは、レアードの妹(デブラ・モンク)のもとで夏を過ごすことにします。その町は、巨大なセコイヤ杉(原題にあるレッドウッド)がそびえる森のそばにありました。森の中では、ベトナムから帰って以来、社会に溶け込めない帰還兵たちが世捨て人のように暮らしています。ジェリーは、帰還兵の一人(ダニエルズ)が町に来て自分を凝視しているのに気づき、後を追うのですが・・・。

原作はランフォード・ウィルソンの舞台劇で、ジェフ・ダニエルズとデブラ・モンクはブロードウェイの舞台と同じ役を演じています。モンクはこの作品でトニー賞助演女優賞を得ました。主演のレア・サロンガは、実際にはベトナムではなくフィリピン出身です。「ミス・サイゴン」の主役でトニー賞を受賞したミュージカルのスターですが、冒頭のクレジットでintroducingと出たところを見ると、TVドラマ初出演だったようです。アメリカの作品でアジア系のヒロインを見る機会は少ないので新鮮でした。重要なシーンで彼女が気絶する設定になっていて、ちょっと古臭い展開だと思ったものの、彼女の個性のおかげで救われていました。デブラ・モンクは舞台では主役級で、ほかの作品(ミュージカルを含む)でもトニー賞候補になっている女優です。しかし、映画では「マディソン郡の橋」(1995年)のメリル・ストリープの近所に住むゴシップ好きの主婦とか、「センターステージ」(2000年)の拒食症になる少女の母親とか、小さな役が多いため、出番の多いこの作品で初めて実力を認識しました。もっと映像作品にも出てほしいです。

ベトナム後遺症ものにもいろいろありますが、これはとても静かなドラマです。同じロバート・デ・ニーロの出演作でも、「タクシー・ドライバー」(1976年)ではなく「ジャックナイフ」(1989年)に近いと言えるでしょう。ちなみに「ジャックナイフ」も原作は舞台劇で、日本で翻訳上演されています。"Redwood Curtain"は、まだ日本に入ってきてないと思います。わたしは先ず戯曲を手に入れようとしてネットでウィルソンの戯曲集を探しましたが、どれに収録されているか分からなかったので、代わりにこのTVムービーのVHSを注文しました。この作品のプロデューサーと演出(ジョン・コーティ)は、「ジェーン・ピットマン/ある黒人の生涯」(1974年)というTVムービーを作ったチームだから、出来がいいに違いないと踏んで購入したのです。結果として、「ジェーン・ピットマン」ほどの感銘は受けなかったけれど、見ごたえがありました。

(「ジェーン・ピットマン」については、話したいことが多いので別の機会にしますが、脚色を担当したトレイシー・キーナン・ウィンは、前回ご紹介した"Requiem for a Heavyweight"のテレビドラマ版に出演したエド・ウィン、キーナン・ウィンの血をひいています。つまり、エド・ウィンの孫、キーナン・ウィンの息子にあたる脚本家です)

"Requiem for a Heavyweight"

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ジョン・リスゴーが「ガープの世界」(1982年)でロバータを演じて成功したのは、彼の堂々とした体躯がフットボール選手にふさわしかったのも一因でしょう。あの大きな身体に女性の心が宿っているというだけでインパクトがありました。

彼が「成功の甘き香り」のミュージカル版でトニー賞主演男優賞を受賞したことは以前にも書きましたが、同賞の過去のノミネート歴を調べてみたら、ストレートプレイでのスポーツ選手の役が多かったです。ガタイの良さを買われたキャスティングだったのかもしれません。

1973年に助演部門でノミネートされた「チェンジング・ルーム」では、イギリスの炭鉱町のラグビー選手(セミプロ)に扮しました。この作品は、炭鉱夫からラグビー選手に転身した男(リチャード・ハリス)が主人公の映画「孤独の報酬」(1963年)の原作者でもある、デビッド・ストーリーの戯曲です。日本では文学座が翻訳上演しました。タイトル通り更衣室のみで展開するドラマで、イギリスではシリアスな演劇の舞台で俳優が全裸になったごく初期の例なのだそうです。リチャード・グリーンバーグの戯曲"Take Me Out"が同じく更衣室で展開するのは、この作品の影響を受けていると思います。

「ガープの世界」より後ですが、1985年に主演部門でノミネートされた"Requiem for a Heavyweight"では、パンチドランク状態のボクサー役でした。これはロッド・サーリングが書いた単発テレビドラマ(1956年)の舞台化です。主人公は目をやられてボクサーとして引退の時期が迫っています。マネージャーは彼を賭けの対象にしてもう一儲けするつもりでいます。ソーシャル・ワーカーの女性は引退後の堅気の仕事を探してくれるのですが、周囲の人たちはプロレスラーへの転身を薦める、という具合に他人の思惑に翻弄される主人公の姿が描かれています。この舞台は、ブロードウェイではプレビュー8回、本公演3回で閉幕してしまったようですが、にもかかわらずトニー賞の候補となったということは、リスゴーの演技の評価がそれだけ高かったのでしょう。

原作のテレビドラマが「プレイハウス90」の枠で生放送されたときのキネコの一部をYouTubeで見ました。主演はジャック・パランス、マネージャーがキーナン・ウィン、コーチがエド・ウィン、ソーシャル・ワーカーがキム・ハンターという配役です。パランス、脚本のサーリング、演出のラルフ・ネルソンがそろってエミー賞を得ています。サーリング脚本、ネルソン演出のコンビで1962年に映画化もされました。主演はアンソニー・クイン、マネージャーがジャッキー・グリーソン、コーチがミッキー・ルーニー、ソーシャル・ワーカーがジュリー・ハリスだそうです。以前、アクターズ・スタジオのインタビュー番組「アンソニー・クイン自らを語る」を見ていたら、クインが映画版について時間を割いて話していました。彼の長いキャリアの中でも特筆すべき作品のようです。ちょっと検索しただけですが、どうも日本に入ってきてないようなので、DVDの発売を期待しています。なお、"Requiem for a Heavyweight"がイギリスBBCで生放送されたときは、スターになる前のショーン・コネリー主演だったそうです。出演者の衣装替えの時間を稼ぐために書き足された場面に、小さな役でマイケル・ケインも出ていたのだとか。

「ガープの世界」

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「SOAP」が始まってすぐのエピソードで、ジョディ(ビリー・クリスタル)は性転換の手術を受ける決意をします。後のエピソードで、ジョディは手術のため入院し、そこで看護婦キャロル(レベッカ・ボールディング)に誘惑され、関係を持ちます。キャロルはこのとき妊娠します。

映画「ガープの世界」(1982年)の冒頭で、グレン・クローズ扮するジェニーがガープを身ごもった経緯を話したときに思い出したのが、「SOAP」のこのストーリーラインでした。「ガープ」の原作者ジョン・アービングはギュンター・グラスの影響を受けているそうだから、「ブリキの太鼓」の主人公の母親の出生に関するエピソードを連想するのが本来なのかもしれませんが、映画「ブリキの太鼓」を見たのは「ガープ」より後だったし、グラスの原作は今も読んでいないため、「SOAP」が浮かんだのでした。ジェニーの職業がキャロルと同じ看護婦だったせいもあるでしょう。

そういえば、「ガープの世界」には性転換した元フットボール選手が出てきました。ジョン・リスゴーが演じたロバータ・マルドゥーンです。映画を見ると、ロバータはジェニーやガープ(ロビン・ウィリアムズ)に献身的に尽くす役割が強調されていました。「続・大都会の青春」や「SOAP」に登場した同性愛者のフットボール選手とくらべて、地に足のついた好感の持てるキャラクターに描かれていました。原作の小説にはロバータが受けた迫害が語られています。性転換の手術を受けたあと、テレビ局が彼女をフットボール中継の解説者として雇おうとすると反対運動が起きて実現しなかったり、数々のいやがらせの手紙を受けとったり、といったエピソードがありました。

現実には、プロフットボールの世界から引退したあとで性転換した人の話は聞いたことがないですが、同性愛者だと告白した選手はいるそうです。1976年のことで、「ガープの世界」が出版される2年前に当たります。その後も2人カミングアウトしていますが、いずれも引退してからのことで現役の間は隠していました。フットボールや野球のようなチームスポーツの場合、現役の間にカミングアウトすると、同僚からもファンからも疎まれてしまうのだそうです。

アメリカ映画は、個人競技とチーム競技を問わず、スポーツを題材にすることが多いですが、同性愛者を中心に据えたものはロバート・タウン監督の「マイ・ライバル」(1982年)を除いて、見た記憶がありません。警察や軍隊でもカミングアウトはタブーとされていて、これらの組織を描いた映画で同性愛がテーマになっていることはしばしばあるのに、不思議な現象だと思います。小説ではピーター・レフコート著「二遊間の恋」(文春文庫)、舞台劇ではリチャード・グリーンバーグ作"Take Me Out"(2003年トニー賞作品賞受賞)が、メジャーリーガーがカミングアウトした場合のシミュレーション的内容で、両方とも映画化されるというニュースが流れましたが、いまだに実現していません。「ガープの世界」や「マイ・ライバル」からすでに四半世紀が経過したのだから、そろそろ実現していいころだと思います。

「SOAP ソープ」

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ゲイのフットボール選手が出てくる作品というと、「続・大都会の青春」(1977年)の他には、同時期に作られた「SOAP」(1977~81年)という30分のコメディー・シリーズがあります。「SOAP」は、アメリカのプライムタイム(日本でいうゴールデン・タイム)で初めて、レギュラー陣に同性愛者という設定の登場人物が含まれていた番組です。のちに「恋人たちの予感」(1989年)やアカデミー賞授賞式の司会で有名になるビリー・クリスタルが、その登場人物を演じました。ジョディ・ダラスという名前のCFディレクターで、主役の1人であるメアリー・キャンベル(キャサリン・デイモン)が前夫とのあいだにもうけた次男という設定のため、ほぼ毎回出番がありました。ジョディの恋人がデニス・フィリップスというフットボール選手で、こちらは最初の2年間で10数話分に出演したセミレギュラーの登場人物でした。

デニス・フィリップスを演じたのはボブ・シーグレンという人です。彼はもともと棒高跳びのスター選手で、メキシコ・オリンピック(1968年)で金メダル、続いてミュンヘンで銀メダルを獲得しました。インターネット・ムービー・データベースによると、70年代後半からテレビドラマに出演しはじめたようですが、「SOAP」以前は自分自身の役でのゲスト出演で、架空のキャラクターを演じたのは「SOAP」が最初となっています。ソープオペラにぴったりの甘いルックスながら、俳優としては大成できなかったようで、同データベースを見ても出演作は多くありません。

「SOAP」は、たいへん面白いシリーズでした。脚本チームの中心となったスーザン・ハリスが才気を縦横に発揮したためでしょう。題名が示すとおり、内容はソープオペラのパロディーなのですが、わたしはソープオペラがどんなものか知らずに放送を毎週楽しみにしていました。映画「トッツィー」(1982年)でデイタイム・ソープの舞台裏を知ったり、WOWOWが放送した「サンタバーバラ」を見てソープの実例を知るのは、ずっと後のことでした(「ペイトン・プレイス物語」「ダラス」など<プライムタイム・ソープ>と呼ばれるドラマは既に見ていましたが、その呼称は知りませんでした)。元ネタが分からなくても笑えたのは、独立した作品としてよく出来ていたからだと思います。

「SOAP」には、オリジナリティ豊かな登場人物やシチュエーションがたくさん出てきました。白人家庭で黒人の執事ベンソン(ロバート・ギヨーム)がいちばん威張っていたり、その家庭の主婦ジェシカ・テイト(キャサリン・ヘルモンド)が妹メアリーや自分の娘といっしょにアップルパイを頬張りながら昼間からセックス談義をしたり、腹話術の人形(名前はボブ)を片時も手放さないキャラクター(ジェイ・ジョンソン扮するチャック)が出てきたり、ちょっと他では見かけたことのない場面の連続でした。ジョディというゲイのキャラクターを登場させたのも、その一環だったと思います。

ジョディは周囲にゲイだとカミングアウトしていますが、彼の撮るコマーシャルに出演しているデニス・フィリップスはカミングアウトしていません。デニスは女性と結婚すると宣言して一度はジョディから離れていきますが、あとになって、よりを戻したいと再接近してきます。このあたり、「トーチソング・トリロジー」(1988年)でブライアン・カーウィンが演じた男に少し似ている気がします。

「SOAP」の日本での放送は第2シーズンまでで終了しました。続きが見たくてもかなわなかったので、Tim Brooks著"The Complete Directory to Prime Time Network and Cable TV Shows, 1946-Present"(Ballantine Books刊)という、ドラマのあらすじが最後まで書いてある本を購入して「SOAP」の項目を読んだり、ネットでエピソードガイドを探したりしていましたが、数年前、アメリカでDVDボックスが発売されたので取り寄せました。

第2シーズンの終わりで、ジョディはアリス(ランディ・ヘラー)というレズビアンとアパートで同棲していました。お互い干渉しないルールだったのに、相手の恋人が来ていると嫉妬を感じる(性的には惹かれないのに)というシチュエーションが、これまた見たことのないものだったので、どう発展していくか見たかったのですが、第3シーズンの初めで同棲を解消してアリスが出て行ってしまう展開になっており、がっかりでした。デニスがまた戻ってくるとか、いくらでも話を広げられそうな設定なのに、惜しいと思います。

その後、「ウィル&グレイス」というゲイの男性とヘテロの女性がいっしょに暮らしているシチュエーション・コメディが作られるなど、プライムタイムの番組でゲイの存在は珍しくなくなりました。でも、まだまだすべての同性愛者がカミングアウトできる状況にはないので、ジョディとアリスのように世間を偽っているカップルの話は現在でも成立するのではないでしょうか。

「続・大都会の青春」

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「警察署長」のフォクシーの毒牙にかからなかったヒッチハイカーはその後どうなったろうと考えていたら、このTVムービーを思い出しました。日本では「大都会の青春」(1976年)と2夜連続で放送していましたが、「続・大都会の青春」は翌年に作られた続編だそうです。

正編の「大都会の青春」は、「グリース」(1978年)のランダル・クレイザー監督の作品で、10代の家出少女ドーンが西ハリウッドで娼婦に堕ちていく話でした。ドーンを演じたのは「ゆかいなブレディ家」で次女役だったイブ・プラム。彼女と男娼のアレクサンダー(リー・マクロスキー)がままごとのような同棲をはじめ、ささいなことで喜んだりケンカしたりする中盤は、クレイザー監督の「青い珊瑚礁」(1980年)やルイス・ギルバート監督の「フレンズ/ポールとミシェル」(1971年)に通じる部分がありました。

続編の「続・大都会の青春」は、アレクサンダーを主人公にして彼の側の事情を描いていました。記憶どおりなら、ドーンは最初のほうだけ登場して、薬物中毒の治療のために早々に退場してしまうという扱いでした。続編の演出は、ここで取り上げた「グレンヴィル家の秘密」「早霜」「一日の旅路」のジョン・アーマンに交代しています。

アレクサンダーの場合は、家出というより勘当に近い感じでした。農場の仕事を継がずに画家になると宣言したら、父親に殴られて追い出されるようにして家を出るのです。このあたりの描写が不足しているため、アレクサンダーが最初からゲイの傾向があったと匂わせているのか、ウェスト・ハリウッドで生き延びるためと割り切って同性愛行為におよぶのかが曖昧になっていました。70年代後半のテレビで同性愛を真正面から取り上げるのが難しかったせいかもしれません。アレクサンダーは、友だちの男娼のアパートに転がり込み、彼が女性だけでなく男性の客もとっていることを知ります。男性客のほうが数が多く、カネになるのです。女性が買うのは家出少年ではなく、「アメリカン・ジゴロ」(1980年)でリチャード・ギアが演じたような男なのでしょう。アレクサンダーも友だちに倣って男性客をとるようになり、フットボールのスター選手に気に入られて一緒に暮らし始めますが、相手は移り気ですぐに捨てられ、街頭に立つことになるという展開でした。

正編もそうでしたが、ソーシャル・ワーカーやアパートの家主のように、アレクサンダーたちを気遣ってくれる大人もいるにはいるけれど、出来ることに限界があり、家出少年の数が多すぎて手に余るという描き方だった記憶があります。大人の出演者は、インターネット・ムービー・データベースによるとアール・ホリマン、ジーン・ヘイゲン、ジュリエット・ミルズなどだったそうです。フットボール選手を演じたのはアラン・ファインスタインという俳優で、劇場用映画では見かけないものの、テレビ出演は多い人です。「過去へ旅した女」(1979年)というTVムービーでリンゼイ・ワグナーの夫の役だったと言えば、顔を思い出せる人がいるかもしれません。

「警察署長」

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「ウィル・ロジャース・フォーリーズ」の主演がキース・キャラダインと知ったとき、わたしには違和感がありました。彼がミュージカル「ヘアー」の舞台に出演したこと、映画「ナッシュビル」の中の"I'm Easy"という曲を自作自演してアカデミー賞の主題歌賞を獲得したことは、どのプロフィールにも書いてあるので、1991年当時も知っていたはずです。だから、ミュージカルに出演することへの違和感ではなく、役柄がイメージに合わないと感じたのです。

フィルモグラフィーを見ると、彼の出演作は大まかに3種類に分けられると思います。

1.ミニシアター向きのもの ロバート・アルトマン、アラン・ルドルフ監督の作品群やリドリー・スコット監督の「デュエリスト/決闘者」など

2.男性的アクションもの 「北国の帝王」、ウォルター・ヒル監督作、「ストリート・オブ・ノー・リターン」など

3.TVムービー、ミニシリーズ 「知られざる戦場/フィリップ・カプートの青春(別題・ロックパイル・ベトナム)」、「警察署長」など

この3つのどれを中心に見ているかによって、その人の抱くキース・キャラダイン像は違ってくるでしょう。わたしの場合、「ウィル・ロジャース・フォーリーズ」以前は1と2は数本ずつしか見ていなくて、あとでレンタルビデオなどで見たものが多いです。3については、レマルク原作「西部戦線異状なし」のリメイクも含め、けっこう見ていました。特に「警察署長」(1983年)の印象が強く、それは今も変わっていません。「ナッシュビル」や「モダーンズ」で演じた女にもてまくる男よりも、西部劇の土臭い男よりも、「警察署長」での連続殺人犯がぴったりだと思います。そういうイメージを持っていたので、ウィル・ロジャース役は意外でした。

「警察署長」は、スチュアート・ウッズの同名小説に基づくミニシリーズで、2時間×3回に分けて放送されました。南部の架空の町、デラノを舞台に、1920年代から約40年間の町の移り変わりを、代々の警察署長を中心に描くのと並行して、同時進行している連続殺人の顛末がからんできます。みんなが顔見知りのようなスモールタウンで連続殺人が行われているのに、なぜ気づかれないかというと、犯人は地元民を殺すのではなく、ハイウェイでよその州から家出してきた少年のヒッチハイカーを拾っては殺しているからです。その犯人がキャラダイン扮するフォクシーであることは、視聴者に早い段階で明らかにされます。初代の警察署長ウィル(ウェイン・ロジャース)がフォクシーを疑い、彼の住まいに向っていたときに不幸な事故で亡くなるまでが第1部でした。第2部は、人種差別主義の2代目署長(ブラッド・デイビス)を中心に話が進みます。彼もウィルの遺したメモをもとにフォクシーが連続殺人犯だと気づくのですが、逮捕に到る前に皮肉な運命が待っています。第3部になって、初めての黒人署長(ビリー・ディー・ウィリアムズ)がウィルの息子(スティーブン・コリンズ)と協力して事件を解決します。以上のあらすじは、キャラダインの関わる連続殺人を中心に書きましたが、ほかにもさまざまな脇筋があり、南部の人種差別もテーマになっています。町の創立者役のチャールトン・ヘストンと保安官役のポール・ソルビノが全編に顔を出し、ドラマを引き締めていました。

テレビドラマですから、フォクシーの犯行の詳細は画面上では描かれません。ただし、彼が拾う家出少年がいつも似たタイプであり、気に入った男の子だけを誘って、一人で暮らす山小屋のような所に連れ帰り、性的に乱暴してから殺して小屋の周囲に埋めていることが匂わされます。また、フォクシーは警察オタクでもあり、通信販売で警察バッジや制服のレプリカを手に入れて身に着けていることも描かれます。警察署長が選挙で選ばれるとき、彼が立候補してウィルに破れるくだりには、ブラック・ユーモア的な味わいがありました。ジェリー・ロンドン演出によるこのミニシリーズで、キャラダインが演じた連続殺人犯は、「サイコ」のノーマン・ベイツや「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビルと肩を並べる存在だと、わたしは思っています。

ウィル・ロジャースの名前で思い出すのは、このミュージカルの題名です。1991年のトニー賞で「ミス・サイゴン」を抑えてベスト・ミュージカル賞を受賞した作品です。この年からBS2で中継されるトニー賞授賞式を録画するようになり、その中で一場面を再現していたのを見て興味を持ちました。ウィル・ロジャースに扮するキース・キャラダインがコーラスの女性たちを従えて<座ったまま>ラインダンスをする趣向が面白く、その部分をビデオテープでくり返し再生した記憶があります。コロンブスの卵というか、なかなか出来ない発想だと思いますが、座ったままでも10数人が寸分の狂いもなく動くと壮観です。このショーの作詞は「踊る大紐育」や「雨に唄えば」のベティ・コムデンとアドルフ・グリーンで、作曲は「スイート・チャリティ」などのサイ・コールマンです。3人がベスト・スコア賞を受けて、スピーチを歌で行ったのが印象的でした。のちにショー全体を見て分かったのですが、その歌は作品中の"Give a Man Enough Rope"の替え歌になっていました。

「ウィル・ロジャース・フォーリーズ」は、WOWOWが放送開始1周年の記念番組として放送しました。ショーの全体に、座ったままのラインダンスのようなアイデアがいくつも詰め込まれていて、くり返し見ても飽きません。ウィル・ロジャースが生まれてから死ぬまでを、彼が出演したジークフェルド・フォリーズの形式に当てはめて描くというのが全体を通しての趣向ですが、形式に合わない部分も強引に合わせることがギャグになっています。たとえば、ジーグフェルド・フォリーズでは結婚式の場面が幕の終わりにくることが決まりなので、ロジャースが結婚するところまで話が進んでも結婚式はお預けになり、一幕の最後で華やかなジーグフェルド流の結婚式がやっと描かれる、といった具合です。フォリーズの生みの親、フローレンツ・ジーグフェルドの声がショーの進行を妨げ、ロジャースにあれこれ指示を出すのもギャグになっています。ジーグフェルド役はグレゴリー・ペックで、録音により声だけの出演をしています。ロジャースは投げ縄の名人だったので、キース・キャラダインもロープを使った芸を舞台でやってみせるのですが、それがさほどうまくないことまでギャグとして利用する貪欲さに感心させられます。台本は「シャレード」などのピーター・ストーン、演出は「マイ・ワン・アンド・オンリー」、「グランド・ホテル」のトミー・チューンです。

淀川長治さんが引用していた「嫌いな人に会ったことがない」というロジャースの口癖は、キャラダインの最後のソロの曲名に使われ、歌詞にもくり返し登場します。もうひとつ、ロジャースの有名な口癖は"All I know is what I read in papers"といって、WOWOW版の字幕では「僕の知識は新聞の受け売り」と訳されています。この言葉とともに始まる、ニューヨーク・タイムズ紙の見出しを拾いながらジョークを連発するくだりは、わたしのお気に入りです。ロジャースはコラムニストでもありました。ミュージカルの上演にタイミングをあわせてエイボン社から出版された、Joseph H. Carter著"Never Met A Man I Didn't Like: The Life And Writings of Will Rogers"というペイパーバックを手に入れました。この本は前半がロジャースの伝記、後半がロジャースの文章の抜粋になっています。ミュージカルの中のロジャースの発言は、本人の文章のエッセンスをうまく伝えていると思いました。たとえば、第2幕のはじめで<モンキー裁判>に触れて言う「人間の先祖が猿だとは思わない。冷酷で欲深い猿を見た事がない。たぶん人間の先祖は弁護士だ」なんてジョークは痛烈で印象に残ります。このジョークのすぐあと、<エコロジー>という言葉を新聞で覚えたと前置きをして、ロジャースが"Look Around"という曲をギターで弾き語りします。この曲は、昨年のトニー賞授賞式の中で、亡くなった演劇関係者を追悼するコーナーに登場したトミー・チューンが歌っていました。<エコロジー>は今、注目度の高い言葉ですから、この曲が歌われる機会が増えるのではないでしょうか。

出演者の中に、ジーグフェルドのお気に入りという役を演じたケイディ・ハフマンがいます。彼女は「靴をなくした天使」に小さな役で出ていた以外、映画では見かけませんが、「ウィル・ロジャース・フォーリーズ」の約10年後、メル・ブルックスの「プロデューサーズ」でウーラ役を演じてトニー賞を得ました。また、4人の男性ダンサーのうち、インディアンの格好でソロ・パートのあるジェリー・ミッチェルは、このあと振付を担当するようになって成功しています。「フル・モンティ」「ヘアスプレー」「ペテン師と詐欺師」の舞台版の振付でトニー賞にノミネートされ、「ラ・カージュ・オ・フォール」のリバイバル時に同賞を受賞。昨年は「キューティ・ブロンド」の舞台版で振付だけでなく演出も手がけました。

アメリカ映画の外国語の吹き替えというと、「リトル・ロマンス」(1979年)にフランス語に吹き替えられた「三つ数えろ」(1946年)や「明日に向って撃て!」(1969年)などが出てきました。ほかにもいろいろな例があると思いますが、わたしが思い出すのは、今から20年前のアカデミー賞授賞式です。この年の外国語映画賞を発表するときに、フェイ・ダナウェイとジェームズ・ガーナーがプレゼンターとして登場し、英語圏以外で育った人はごひいきのハリウッド・スターをこんな風に知るのだという前置きのあと、いろいろな国の言葉に吹き替えられたアメリカ映画のクリップが流れました。会場は大受けでした。

まず、「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドがドイツ語で「ここはもうカンザスじゃない」と言います。つづいて登場するグルーチョ・マルクスをはじめ、スペイン語に吹き替えられている例が多く、笑いも大きいようです。特に「追憶」のバーブラ・ストライサンドは、原語でも早口のシーンなのですが、スペイン語でまくしたてることで可笑しさが増しています。「トッツィー」のダスティン・ホフマンは、吹き替えも男性の裏声なのが笑いにつながり、「ランボー」シリーズのシルベスター・スタローンは、吹き替えが妙に力んでいるのが笑いにつながっています。日本語の吹き替えは、「砲艦サンパブロ」のスティーブ・マックイーン(おそらく宮部昭夫)、「愛と喝采の日々」のシャーリー・マクレーン(おそらく小原乃梨子)がアン・バンクロフトにつかみかかるところ、「スター・ウォーズ」のダース・ベイダー(おそらく内海賢二)が含まれていました。最後は、「雨に唄えば」のジーン・ケリーが傘をささずに雨の街路で踊る有名なシーンで終わるのですが、歌までドイツ語に吹き替えられています。日本では、ミュージカル映画を吹き替えで見ても歌の部分だけは字幕なのが一般的ですが、ドイツでは歌も吹き替えているようです。

この年、音響賞のプレゼンターとして登場したビリー・クリスタルは、のちに何度も授賞式の司会を務めることになります。彼の第一声は「どうもありがとう。今のはストライキの前に書いた」です。20年前も脚本家のストライキがあったのです。この辺の事情は、バラエティ・ジャパンの昨年12月28日付けの記事「過去のストでは開催された授賞式、今年度は?」に詳しく書いてあります。クリスタルは、候補者の名前を告げる前に、映画のいろいろな擬音を真似してみせました。その中で、英語に吹き替えられた日本のSF映画をネタにしていて、「東京が危ない」という台詞の音声と俳優の口の動きがズレている様を再現していました。「雨に唄えば」を連想させるギャグでした。

この年は「ラスト・エンペラー」が9部門でノミネートされ9部門で受賞する快挙を成し遂げましたが、わたしがいちばん記憶に残っているのは、アービング・G・タールバーグ賞を受賞したビリー・ワイルダーのスピーチです。ジャック・レモンの紹介のあと、壇上にのぼったワイルダーは、ナチスを逃れてメキシコからアメリカに入ったときの思い出を話し、書類の不備があったのにビザを発行してくれた領事に感謝したいと述べました。その領事がウィル・ロジャースに似ていたと言ったのが印象的でした。この時点で、わたしはロジャースの出演映画を1本も見たことがありませんでしたが、淀川長治さんの「嫌いな人に会ったことがない」という言葉がロジャースの引用だと聞いていたので記憶にひっかかったのでしょう。

もう1つあげるなら、作品賞のプレゼンターだったエディ・マーフィの発言です。彼は、オスカー60年間の歴史で黒人俳優の受賞は3回だけだから、次は2004年まで黒人俳優はとれない、と皮肉を言いました。この予言が大ハズレだったのは皆さんご存知のとおりです。ちなみに、この年の助演男優賞にはモーガン・フリーマン(日本ではVHSのみの「NYストリート・スマート」)とデンゼル・ワシントン(「遠い夜明け」)が初めてノミネートされていました。ワシントンが「グローリー」で同賞を受けるのは2年後です。

「私は殺される」は女優のほぼ一人芝居だと書きました。舞台上に完全に女優一人しか登場せず、「私は殺される」のミセス・スティーブンスのように電話にかじりついている女性のモノローグだけで成り立っている作品があります。ジャン・コクトーの"La Voix humaine"という一幕ものです。題名は「声」とか「人間の声」と訳されています。コクトーの代表作とみなされていて、現在も白水社から出ている翻訳が簡単に入手できます。

「声」の主人公は、自分をふった男と電話で話しています。混線したり、切れてしまったりで会話が続かないのですが、男は翌日、別の女と結婚することになっているのに、主人公は未練たっぷりだという状況がだんだんと分かってきます。彼女は睡眠薬を飲んで自殺を図ったけれど死ねなかったことを打ち明けます。男がスーツケースに仕舞ってある彼女からのラブレターを燃やすと聞いて、彼女は燃やしたあとの灰を自分が贈った箱に仕舞っておいてくれと言います。観客には男が話す声は聞こえず、男が何を言ったかは主人公のモノローグから推測できるようになっています。

この一人芝居に挑戦したいと思う女優は多いでしょう。これにはオペラ版もあり、両方とも今もひんぱんに上演されていて、実力派女優・歌手が取り組んでいます。映画化としては、ロベルト・ロッセリーニ監督、アンナ・マニャーニ出演のものがあるそうですが、わたしは未見です。映画化されたのは、偶然にも「私は殺される」と同じ1948年です。別の短編とのカップリングで「アモーレ」というタイトルがつけられています。日本版DVDが出ているので、ぜひ探して見てみたいと思います。もう1つ、イングリッド・バーグマンが1967年に舞台で演じてテレビで中継された映像(テッド・コッチェフ演出)がアメリカではDVD化されています。これは日本版はないようです。

変わったところでは、ペドロ・アルモドバル監督のヒット作「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1987年)も「声」が土台になった映画ですが、通常の脚色とは違います。ヒロインのペパ(カルメン・マウラ)は留守番電話のメッセージで恋人イバン(フェルナンド・ギレン)から別れを告げられます。ペパは、未練たっぷりというより、なぜ別れるのか理由を知りたい一心で行動します。その過程で、イバンの前妻ルシア(フリエタ・セラノ)、息子カルロス(アントニオ・バンデラス)などたくさんの人物がペパのアパートに出入りして、映画は一人芝居どころではなくなり、スクリューボール・コメディの様相を呈します。最初のうちイバンは口元しか映らないので、男を登場させないところは「声」に忠実のように見えますが、後半にはイバンの顔もはっきり映り、原作からどんどん乖離していきます。そのくせ<睡眠薬><スーツケース><灰>といったアイテムは映画にも散りばめられており、完全に原作を無視しているわけではありません。ただし、その使い方がひねってあり、笑いをエスカレートさせるのに役立っています。アルモドバル監督の前作「欲望の法則」では主人公が「声」を演出している設定なので、アルモドバル監督にとって「声」は重要なモチーフに違いありません。

声といえば、ペパとイバンの職業は声優です。外国映画の吹き替えをしている場面が出てきて、ニコラス・レイ監督の「大砂塵」(1954年)の一場面が引用されています。ヨーロッパでは映画館で公開されるときも吹き替えが一般的と聞いていますが、ダビングの様子が映画や小説に出てくることは珍しいのではないでしょうか。「声」をモチーフにした映画の登場人物の職業として、声優はぴったりの選択だと思います。

"Ellery Queen's Media Favorites"

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バーバラ・スタンウィックは、1987年にAFIの生涯功労賞を受賞したときのスピーチで、「私は殺される」(1948年)の撮影がきっかけで髪の毛が白くなりはじめたと語ったそうです。それだけ強い緊張と恐怖を感じる撮影だったということでしょう。

AFIの授賞式の模様をおさめたテレビ番組は、LDボックスとして発売されていると先月ご紹介しましたが、バーバラ・スタンウィックの回は割愛されていて、わたしは見たことがありません。彼女がスピーチで言ったことは、エレノア・サリバン編"Ellery Queen's More Media Favorites"というアンソロジーの序文からの引用です。エレノア・サリバンは"Ellery Queen's Mystery Magazine"の編集長を長く務めた女性で、アンソロジーの編纂も多く手がけました。「世界ベスト・ミステリー50選」(光文社文庫)などが日本でも彼女の名前で刊行されています。

"Media Favorites"と続編の"More Media Favorites"は、それぞれ1988年の夏と秋の発行です。どちらも舞台、映画、ラジオ、テレビと関係の深い短編小説と戯曲を集めたものです。ルシール・フレッチャーが自作のラジオドラマを脚色した一幕劇"Sorry, Wrong Number"が"More Media Favorites"に収録されていて、サリバンによる序文にAFI生涯功労賞のエピソードが含まれていました。続けて、この作品がテレビドラマになり、小説版もあると述べています。インターネット・ムービー・データベースで調べると、テレビドラマ版は2種類ありました。最初のは1946年で、映画版より早く、ジョン・ハウスマンのプロデュース、ミルドレッド・ナトウィック主演。30分番組だったそうなので、ラジオドラマと同じくナトウィックのほぼ一人芝居だったと思われます。2度目のテレビドラマ化は1989年(つまりアンソロジー出版の翌年)で、ロニ・アンダーソン主演。放送時間は分かりませんが、カール・ワイントローブ(ミスター・スティーブンス役)、パトリック・マクニー、ハル・ホルブルックなどの男優の名前が並んでいて、彼らが<通行人A>的なチョイ役で出るとは考えられないので、映画版のリメイクと思われます。小説版は、フレッチャーとアラン・ウルマンという人の共同によるもので、「ミステリマガジン」1980年6月号に訳出されたそうです。

アンソロジー"Media Favorites"とその続編に収録されている作品は、なかなか粒ぞろいです。全部読んだわけではないものの、読んだ作品については舞台化・映像化されたものを見たい気持ちにさせてくれました。サリバンの序文は面白いエピソードを紹介していますし、中には南アフリカでラジオドラマ化されたものもある、などと書いているにもかかわらず、すべての短編について詳しいデータが載っているかというとそうでもないので困ってしまいます。イギリスの「ロアルド・ダール劇場/予期せぬ出来事」で取り上げられた原作が多いようですが、詳細は不明のものもあります。以下に箇条書きにしてみました。

「私は殺される」

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セットと出演者を限定して映画やテレビドラマを作るのは、プロデューサーからすると低予算に抑えるためでしょうけれど、俳優からすると、待っていた挑戦を受けて立つ感じなのではないでしょうか。リリ・テイラー、ブルース・ダーン、カレン・ブラック、ウィリアム・ハート、みな実力のある俳優たちだから、一人芝居に取り組むチャンスが来たらチャレンジしようと考えて当然です。

「ミステリーゾーン/遠来の客」で、パントマイムと激しい息づかいのみの演技で視聴者を釘付けにしたアグネス・ムーアヘッドは、TVシリーズ「奥さまは魔女」のエンドラ役で何世代にもわたって親しまれている女優です。もともとオーソン・ウェルズ主宰のマーキュリー劇団に所属していた人で、「市民ケーン」では主人公の母親を演じています。実力派なのは間違いないけれど、どの映画を見ても主人公の母親、妻、使用人といった役ばかりで、わたしの知る限り彼女が主演という例は「遠来の客」ぐらいです。わたしが「ミステリーゾーン」や「ヒッチコック劇場」のような、30分読み切り式のシリーズが好きなのは、ムーアヘッドみたいに脇役の多い人が出ずっぱりの主役を与えられ、実力を発揮しているのを見られるからです。

オーソン・ウェルズがラジオ出身なのと無縁ではないでしょうが、ムーアヘッドはラジオでも活躍しました。ラジオドラマの代表作はルシール・フレッチャー作"Sorry, Wrong Number"です。"Suspense"という30分読み切りのシリーズで1943年に初めて放送されて以来、この作品は7回くり返され、その度にムーアヘッドが主演しました。フレッチャー自身の手で一幕劇に直された舞台版にもムーアヘッドが主演しました。しかし、1948年に映画化されたときはバーバラ・スタンウィックが主役でした。

ストーリーはシンプルです。心臓の病気でベッドに寝たきりのミセス・スティーブンスが、ある晩、電話の混線で、男たちが殺人の打ち合わせをしているのを聞いてしまいます。警察に通報しても信じてもらえないので、彼女は交換台などに次々と電話をかけて手をつくします。そうするうちに殺人の予定時刻11時15分がせまってきて・・・。

ラジオドラマ版は、警官、電話交換手など、台詞のある登場人物こそ多いものの、ほとんど<通行人A>程度で、ミセス・スティーブンス役を演じるムーアヘッドの一人芝居と呼んで差し支えない内容です。ネット上でmp3で聞けますし、ムーアヘッド所有の台本から書き起こした英文もアップされていますから、ヒアリングに自信のない人も脚本を参考にしながら聞いてみてください。ムーアヘッドの声の演技、ため息などの使い方のうまさが堪能できます。

映画版「私は殺される」もフレッチャーが脚本を書いていますが、30分で終わる原作を90分にふくらましているので、当然ながら原作の密度は損なわれています。裕福な育ちのミセス・スティーブンスが、バート・ランカスター扮する男と結婚するまでのいきさつ、新婚生活、事件当日のランカスターの行動などが、フラッシュバックではさみこまれています。それが状況説明に終わらず、サスペンスの醸成に役立っていればいいのですが、わたしの印象では間延びしてしまっていました。バーバラ・スタンウィックは熱演でオスカーにノミネートされたのもうなずけるけれど、ラジオドラマ版のほうがよく出来ていると思います。

ちなみに、"Suspense"のテーマはバーナード・ハーマンが作曲したものです。当時、ハーマンとフレッチャーは夫婦でした(後に離婚)。フレッチャーが書いたラジオドラマでもう一つ有名なのが"The Hitchhiker"です。これはオーソン・ウェルズ主演で1941年に"Mercury Theater on the Air"で初放送されたあと、"Suspense"でも放送されました。これもネット上で聴くことができます。同じ原作が「ミステリーゾーン」で映像化されたときは、主人公を女性に変えていました。インガ・スティーブンス主演の「ヒッチハイカー」です。

フレッチャー原作の映画は、「私は殺される」以外にもエリザベス・テイラー主演の「夜をみつめて」を見たことがありますが、「目かくし」という作品は今まで見るチャンスがありませんでした。来週、21日深夜にBS2で放送予定と知り、今から楽しみにしています。ロック・ハドソンとクラウディア・カルディナーレの主演作です。

「ハビタット」

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デビッド・マレルの短編集「真夜中に捨てられる靴」(ランダムハウス講談社文庫)には、「ゴーストライター」をはじめとする小説に混じって、1編だけシナリオが収録されています。「モンスターズ」(1988-90年)という30分のホラー・アンソロジーのために書かれた「ハビタット」がそれです。ハビタットには生息地とか住所という意味があります。

あるコントロール・ルームの内部に、ジャミーという名前の女性がいて、ギターを弾きながら歌っているところから始まります。やがて彼女がコンピューターに向って話し出すと、その内容から、彼女が何かの契約にしばられてコントロール・ルームに一人きりで暮らしていることが分かってきます。彼女はコンピューターに監視されているのです。

この作品の出演者は、ジャミーに扮するリリ・テイラーのみです。シナリオの最後の数ページをのぞいてジャミーの独白が続きます。「モンスターズ」は、以前、日本でも放送していましたし、VHSも何本か発売されていましたが、わたしはこのエピソードを見た記憶がありません。シナリオを読みながら頭の中に浮かんだ映像は、映画「サイレント・ランニング」(1972年)のブルース・ダーンの一人芝居に近い感じでした。

「モンスターズ」は現在もCSで放送中のようで、ネット検索してみたら、FOXムービーチャンネルのSF&ホラー・ラインナップに情報が出ていました。情報といっても各エピソードに付けられた日本語の副題が並んでいるだけで、脚本が誰か、出演者が誰かは分かりません。tv.comなどの英語のエピソードガイドと副題の一覧を比較すると、アメリカでの放送順とまったく同じらしいので、「ハビタット」は第37話「密室ゲーム」だろうと推測できます。

「ハビタット」にも作者の序文はついているのだから、邦題などは序文に訳注として書いておいてほしかったです。しかし、"Monsters"も原題のままになっているのを見ると、訳出した人はこのシリーズが日本で放送されてないと思っているようです。序文によれば、セットはコントロール・ルームだけ、しかも出演者も1人だけというのは、予算が限られていたために生まれたアイデアだそうです。

「モンスターズ」に限らず、SFやホラー作品は低予算のことが多いです。そのせいか、「ハビタット」に似た作りの短編が過去にも存在し、ごく最近も作られました。以下に簡単にご紹介します。

・「ミステリーゾーン/遠来の客」(1961年) アグネス・ムーアヘッド扮する農婦が納屋に侵入してきたエイリアンと対決します。

・「恐怖と戦慄の美女・第3話」(1975年) カレン・ブラック扮する女性が買った木彫りの人形に呪いがかけられていて、ブラックは人形に追われて部屋中を逃げ回ります。

・「スティーブン・キング 8つの悪夢/バトルグラウンド」(2006年) ウィリアム・ハート扮する殺し屋がオモチャ会社の重役を殺して帰宅すると、小包が届きます。その中から出てきたオモチャの戦士が動き出し、ハートとアパート中でバトルを繰り広げます。

ほかにもあるかもしれませんが、わたしが知っているのはこのくらいです。ちなみに、「ハビタット」と「サイレント・ランニング」には台詞がたっぷりありますが、残り3編には台詞がほとんどなく、俳優の動きが中心です。「遠来の客」と「恐怖と戦慄の美女」は、どちらもリチャード・マシスン原作で、「バトルグラウンド」はS・キングの原作をマシスンの息子が脚色しています。

「ゴーストライター」

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脚本家としては駆け出しのライリー・ウェストンは、年齢を偽って18歳の新人ライターとして自分を売り込みましたが、実績があって顔を知られているベテラン脚本家が、年をとるごとに声がかからなくなってきたら、どんな売り込み方法があるのか。そういう発想で書かれているのがデビッド・マレルの「ゴーストライター」という短編小説です。マレルは、シルベスター・スタローン主演の「ランボー」(1982年)の原作である「一人だけの軍隊」を書いた作家です。彼はほかにホラー系統の長編をいくつも発表しています。短編集では、「苦悩のオレンジ、狂気のブルー」(柏艪舎)に続き、去年「真夜中に捨てられる靴」(ランダムハウス講談社文庫)が出版されました。「ゴーストライター」は後者に収録されています。

主人公のモート・デイヴィッドソンは、テレビの黄金時代にロッド・サーリングやパディ・チャイエフスキーと並んで活躍したのち、「ザ・デッド・オブ・ヌーン」という映画でオスカーを受賞した脚本家ですが、オスカー受賞は20年前の話で、現在は仕事にあぶれています。ビジネス・スクールを出たばかりの20代の重役たちは、モートの作品を見たことすらなく、年寄りには若者に受ける脚本は書けないと決めつけていて、モートの企画案を古いと一蹴します。ある日、ダイナーで食事をしてクレジットカードで支払いをしようとすると、カードの名前を見たウェイターが話しかけてきました。ウェイターのリックは脚本家志望で、「ザ・デッド・オブ・ヌーン」を20回も見たと言うのです。モートは、自分の書いた脚本を若いリックの名前で発表することを思いつきます。リックをエージェントに紹介してやって協力をとりつけ、第1作のシナリオは期待以上に高い値で売れます。リックに脚本のイロハを教えてやりながら、2作目、3作目も同じように発表するつもりが、大金をつかんだリックの予想外の行動のせいで雲行きが怪しくなります。

このあたりまでストーリーは快調に進み、ときどき挿入されるモートのぼやきにリアリティが感じられて、映画の仕事もしている作者ならではだなと好印象でした。しかし、終盤の展開はいただけません。前半のスラップスティック的な笑いを盛り込んだコンゲーム小説のままでよかったのに、ラスト近くで無理矢理ホラーにしている風なのです。この短編は、もともと「復讐の殺人」というオットー・ペンズラーが編纂したアンソロジーのために書かれたので、脚本家が詐欺でプロデューサーの鼻を明かす話ではテーマにふさわしくない(殺人が足りない)と、作者は考えたのでしょう。

「復讐の殺人」はハヤカワ・ミステリ文庫に入っています。この本では原題の"Front Man"に従って「フロントマン」という邦題で訳出されています。文庫に収録される前、「ミステリマガジン」に掲載されたときも同じ邦題でした。フロントマンとは、赤狩りの時代にブラックリストにのせられた脚本家に名義を貸した人物のことです。マーティン・リット監督の「ザ・フロント」(1976年)では、ウディ・アレンがフロントマンを演じました。現在はベテランの脚本家がブラックリストにのせられているも同然だと、マレルは言いたいのだと思います。

「苦悩のオレンジ、狂気のブルー」もそうでしたが、「真夜中に捨てられる靴」においても、マレルは収録短編のひとつひとつに序文をつけていて、各作品の成立過程を語っています。「ゴーストライター」の序文では、スターリング・シリファントとの交流を振り返っており、1996年に亡くなったシリファントの追悼文になっています。モートの立場と重なる晩年のシリファントの描写を読んで、涙が出そうになりました。この序文は、恐らく「復讐の殺人」には付いていないでしょうから、TVシリーズ「ルート66」や映画「いのちの紐」「夜の大捜査線」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」などを書いたシリファントに興味のある人には、講談社文庫のほうをおすすめします。

「バーグラー/危機一髪」(1986年)などでもともと男性の役を女性に書き直して女優が演じた例は、「チャンス!」や「探偵レミントン・スティール」のように男性のパートナーをでっち上げて女性が仕事を獲得するというストーリーと、根っこの部分でつながっていると思います。男性中心の業界で生き残っていくための女性の<生活の知恵>がそこにある気がします。

ハリウッドは男性中心であるだけでなく若者中心でもあります。男女を問わず若さが重要視されるので、プロフィールで年齢詐称して若いと思わせたり、美容整形で若く見せることが<生活の知恵>になっているように見受けられます。前回ご紹介した「ファースト・ワイフ・クラブ」の名台詞をはいた女優(ゴールディ・ホーン)が、まさにその典型で、くちびるにコラーゲンを注入してセックス・アピールを強調するなど、涙ぐましい努力をしています。しかし、彼女は渡された脚本を読み、主人公である若い娘の役をオファーされたと思い込んで監督に会ったところ、オファーされたのは娘の母親役だったことが分かり、すっかり落ち込んでしまうのです。

こういう若さへの執着は、カメラの前に立つ俳優に限られた話ではありません。なんと脚本家にも若さが求められています。1998年にこんな珍事がありました。ディズニー社がライリー・ウェストンという18歳の女性ライターと巨額の契約を結んだことが報じられました。ロン・ハワードやJ・J・エイブラムスなどが製作総指揮をつとめるティーン向けTVシリーズ「フェリシティの青春」の脚本を執筆するだけでなく、女優として出演もすることになったのです。エンターテインメント・ウィークリー誌は彼女を業界でもっともクリエイティブな100人のリストに載せ、エンターテインメント・トゥナイトも彼女のプロフィールを紹介する予定でした。ところが、彼女は本当は32歳であることがばれて、契約を打ち切られてしまいます。実はキンバリー・クレイマーという芸名で「愉快なシーバー家」や「天使にラブソングを2」(1993年)に出演したことのある女優でした。彼女は、この業界で年齢詐称は当たり前で、成功するために必要なことをしただけだ、という意味のコメントを発表しました。

日本では「CBSドキュメント」の題で放送されているニュース・マガジン"60 Minutes"がこの顛末を取り上げ、そこから話を広げて、若さを重視するあまりベテランの脚本家が仕事を得られない実態を紹介しました。日本でもこのエピソードは放送されました。ラリー・ゲルバート(「トッツィー」「企業買収 250億ドルの賭け」)などの有名脚本家がインタビューに応じていて、興味深い内容でした。若い観客・視聴者に受ける脚本を書くには若い脚本家でなくてはならない、というのが常識化しているハリウッドに疑問を投げかけるというより、揶揄する調子で作られていました。日本でも、いわゆる月9などの連続ドラマは若い脚本家ばかりが手がけ、ベテランは開局×周年記念作品でしか名前を見かけなかったりするので、ハリウッドに近い状況なのかもしれません。

ライリー・ウェストンが童顔で、実年齢より若く見えたのは確かです。というのも、彼女の女優としての契約は生きていて、「フェリシティの青春」に1話のみですがちゃんと出演し、日本でも放送されたからです。このドラマは、ヒロインのフェリシティ(ケリー・ラッセル)がニューヨークの大学に入って寮生活をしている設定です。ウェストンの出番は第8回でした。第7回でフェリシティの親友がレイプされ、第8回でフェリシティは親友に付き添って病院に行くなどシリアスな場面が続きます。ウェストンは体験入学で寮を見学にきたストーリーという名前の高校生の役で、フェリシティは彼女の面倒を見る役目なのですが、親友のことに気をとられてそれどころではありません。ストーリーは事情を知らないので、背伸びして大学生に混じってパーティーに出ることばかり考えており、フェリシティをふりまわします。いわば、シリアスな主筋に笑いのアクセントを付ける役回りでした。14歳もサバを読んでいた女優が、さらに年下の役を演じているのも皮肉な話で、そういう事情をふまえて見ると笑いが倍増すると思います。

「バーグラー/危機一髪」

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前回「チャンス!」(1996年)はハリウッドでリメイクされるにあたり、主役が男性から女性に変更されたのだろうという推測を書きました。これには理由があります。主演がウーピー・ゴールドバーグだからです。彼女のキャリアには、似た事例がいくつかあったのです。

彼女が1987年に主演した「バーグラー/危機一髪」は、ローレンス・ブロックの泥棒バーニー・ローデンバーを主人公とする小説シリーズに基づく映画で、原作ではバーニーは男性です。映画の脚本も当初は男性主人公で書かれていたのに、途中で変更になったそうです。

1996年にスティーブン・ソンドハイムの「ローマで起った奇妙な出来事」がブロードウェイでリバイバル上演されました。翌年、主演のネイサン・レインが降板することになり、代わりをゴールドバーグが務めると発表されたとき、ちょっとした話題になりました。初演の舞台と映画版でゼロ・モステルが演じた主役のスードラスは、古代ローマの奴隷なので、黒人女優が演じるのは異例中の異例で、台本の書き直しが必要だったからです。

さらに、これはコジツケめきますが、「天使にラブソングを・・・」(1992年)のヒロインも「野のユリ」と「お熱いのがお好き」で男優が演じた主役の設定を混ぜ合わせたものでした。

どうしてこういうことが起こるかと言えば、黒人を想定して書かれる役と女優の役が少ないからだと、わたしは思います。「バーグラー」と同じヒュー・ウィルソン監督の映画「ファースト・ワイフ・クラブ」(1996年)で、ベテラン女優役のゴールディ・ホーンが次のように嘆いていました。「ハリウッドに女優の役は3種類しかない。かわい子ちゃんと地方検事と『ドライビングMissデイジー』よ」。この台詞はもちろん誇張ですが、白人の美人女優がこんな調子なのですから、強い個性を持つ黒人女優にぴったりの役はそうそうないのでしょう。いきおい、男性のパートまで選ぶ範囲を広げているものと思われます。

ゴールドバーグだけが貪欲に役を獲得しているのではありません。「ジョンQ-最後の決断-」(2002年)のデンゼル・ワシントンの役も、プロデューサーは最初、白人スターを探していたそうですし、「シカゴ」(2002年)でクイーン・ラティファが演じた女刑務所長は、舞台では主に白人女優が演じていました。ラティファの出演作では、フランス映画をリメイクした「TAXI NY」(2004年)が、もともと男性だった役を女性に変えた例としてあげられるでしょう。

こういう現象に対して、原作が損なわれるのを嘆くファンは眉をひそめているかもしれません。しかし、わたしは黒人スターの出番が増えることでアメリカ映画はより豊かになったと感じているので、歓迎したいです。台本の手直しには時間と金がかかるはずなのに、プロデューサーがあえて変更を決めるのはそれなりの勝算があるからでしょう。その決断をさせるだけの人気と実力をそなえた黒人スターが増えたのだと思います。

「チャンス!」

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「探偵レミントン・スティール」の設定をウォール街に移したような始まり方をするのが映画「チャンス!」(1996年、原題"The Associate")です。97年に映画館で公開されたらしいのですが、わたしはBSで見るまで、この映画の存在を知りませんでした。現在、DVDが出ています。

ローレル(ウーピー・ゴールドバーグ)は大手の投資信託会社を辞め、投資コンサルティング会社を立ち上げます。有能な秘書(ダイアン・ウィースト)は見つかったけれど、依頼は舞い込みません。ウォール街の大物たちは男性と組んで仕事をしたがるのです。そこで、ロバート・S・カティという架空の男性パートナーをでっちあげ、ローレルの分析による投資アドバイスを彼の名前で行うことにします。すると取引が成立し、次々に成功をおさめるのですが、顧客はカティ本人に会いたがります。そのたびにカティは出張中などと誤魔化し続けていたものの、ついに限界がきて・・・。「レミントン・スティール」と違って、どこからともなくカティ本人が現れることはありえないため、この危機をどうやって乗り越えるかが見せ場になっていました。

てっきり「レミントン・スティール」から発想したシナリオだろうと思っていたら、「チャンス!」はイタリアの小説が原作でした。インターネット・ムービー・データベースで調べたところ、同じ原作が1939年にイタリアで、1979年にフランスで映画化されているほか、2004年にはチリでTVシリーズ化されています。原作についてはよくわかりませんが、フランス映画版はミシェル・セローが主演で、男性が男性のパートナーをでっち上げる話だったようです。ハリウッドでリメイクするにあたって主役を女性に変えたせいで「レミントン・スティール」に似てしまったという事情と思われます。

女性の経営者が日本よりずっと多いアメリカでも、こういうフィクションが成立するくらい、ビジネスの世界は男性優位なのでしょうか。「チャンス!」のクライマックスは、女性は入会できない男性専用のクラブにカティが現れてスピーチをする場面です。この男性専用クラブというものは、映画やテレビドラマにしばしば登場します。「TVキャスター マーフィー・ブラウン」には、キャンディス・バーゲン扮する女性キャスターがその種のクラブを取材対象に選び、入会しようとして剣もほろろに断られるエピソードがありました。

話は変わりますが、「チャンス!」で脇をかためている俳優にはブロードウェイの舞台で活躍している人が多いです。イーライ・ウォラック、ビビ・ニューワース、ティム・デイリー、レイニー・カザン、ジェリコ・イヴァネク、オースティン・ペンドルトン、ジョージ・マーティン、アリソン・ジャニーなど。テレビや映画でもおなじみの顔ではありますが、彼らのトニー賞、オビー賞の受賞あるいはノミネート歴を並べたらかなり長いリストになります。ニューヨークでの撮影部分が多いせいもあるでしょうが、こういう小粒の映画ほど舞台で活躍する俳優が出演するケースが多いように思います。

「キャロラインはだれ?」(1990年)は、遺産相続のタイミングに合わせるように、本ものともなりすましともつかない女相続人が現れる話で、日本の時代劇によくある<女天一坊もの>に似ていると思います。イングリッド・バーグマン主演の「追想」(1956年)などの題材になった皇女アナスタシアを連想すべきかもしれません。DNA鑑定ができる現在なら、本ものか偽ものかすぐ見分けがつくので、こういう話は時代劇にしたり、回想形式で過去の話として扱うことになるようです。

「キャロラインはだれ?」より後に、現代のごく普通の家庭を舞台にして、似たシチュエーションを扱った映画が2本ありました。グレゴワール・コラン主演の「オリヴィエ オリヴィエ」(1992年)と、ミシェル・ファイファーが母親を演じた「ディープエンド・オブ・オーシャン」(1999年)です。どちらも、幼い頃に行方不明になった子どもが成長してから発見され、もとの家庭にもどったことによる波紋を描いていました。ミステリー的な面白さを狙った映画ではないので遺産相続はからみませんが、それでもじゅうぶんドラマティックでした。

「キャロラインはだれ?」の主演にステファニー・ジンバリストが選ばれたのは、テレビドラマ・ファンへの目配せだったのではないでしょうか。彼女は、「探偵レミントン・スティール」(1982~87年)というTVシリーズでキャロラインと逆の立場のヒロインを演じていたのです。このドラマの設定はこうです。ローラ・ホルトという女性が探偵事務所を開いたところ、依頼人が少なかったので、レミントン・スティールという架空の男性上司をでっちあげ、自分は助手ということにします。すると途端に依頼人が増え、ローラは世間の女性差別を実感するのですが、ある日、レミントン・スティールを名乗る男(ピアース・ブロスナン)が現れ、探偵事務所に居座ってしまうのです。

架空の男性が実在することになってしまうというのは興味をそそる設定だと、「レミントン・スティール」を見ながら思っていました。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「北北西に進路をとれ」(1959年)で、ジョージ・カプランという架空のスパイがちょっとした偶然のせいで実在することになってしまうのと共通するものがあります。「北北西」に主演したケイリー・グラントは、「007」シリーズの原作者イアン・フレミングがジェームズ・ボンドに推薦していた俳優だと聞いたことがあります。「レミントン・スティール」のP・ブロスナンがボンドを演じることになったとき、妙な因縁だなあと思いました。

「キャロラインはだれ?」

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今年もよろしくお願いします。

「ミステリマガジン」の最新号を引き続き拾い読みしていました。今号の特集は<親子で楽しむジュブナイル・ミステリ>で、翻訳されている海外短編も子ども向けの作品なら、インタビューに登場する国内作家も子ども向けに書いている人です。そして、前回注目したアレック・ギネス主演の「カインド・ハート」が遺産相続をテーマにした作品ということもあり、この2つがきっかけで、あるTVムービーを思い出しました。NHK総合で放送された「キャロラインはだれ?」(1990年)という作品です。原作はE・L・カニグズバーグの児童文学で「なぞの娘キャロライン」として岩波少年文庫から翻訳が出ているそうですが未読です。

TVムービー版のあらすじはこうです。ジョージア州アトランタの裕福な実業家カーマイケル(ジョージ・グリザード)は最初の妻を亡くし、娘キャロラインも14年前に飛行機事故で亡くしていました。彼は再婚し、2番目の妻(パメラ・リード)との間に新たに息子と娘をもうけましたが、娘ハイジには障害がありました。カーマイケルは母(パトリシア・ニール)の遺産を相続することになります。そこへ死んだはずのキャロラインを名乗る女性(ステファニー・ジンバリスト)が現れ、カーマイケル家に入り込んできます。

このあと、当然キャロラインが本ものかどうかが話のポイントになりますが、それだけではないところがこの作品のミソです。キャロラインはカーマイケル家の4人にポジティブな影響を与えていきます。一家は障害のあるハイジに不自由をさせないよう、金に糸目をつけず過保護に育てていましたが、キャロラインのおかげで、ハイジがなるべく自立できるよう支援する方向に変わります。両親の愛情がすべてハイジに注がれていると拗ねていた兄にも変化が現れます。

以上が回想形式で過去の出来事として描かれるのがもうひとつのミソです。ストーリーの最後でキャロラインが本ものか偽ものかがわかるくだりは、大過去というのでしょうか、回想の中の回想になっています。こういう手法から、わたしは「ゼロの焦点」(1961年)「切腹」(1962年)など橋本忍脚本の語り口を連想しました。ちなみに「ミステリマガジン」には、石上三登志氏の「日本映画ミステリライターズ」が連載中です。現在は市川崑監督が脚本を書くときのペンネーム久里子亭が取り上げられていますが、そのうち橋本忍が登場するのを期待しています。

「キャロラインはだれ?」には、ドロシー・マクガイアが重要な役でカメオ出演していました。演出は「サブウェイ・パニック」などのジョセフ・サージェントです。エミー賞の単発/ミニシリーズ部門で作品賞と演出賞を受賞しています。

2008年4月

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