「アメリカン・グラフィティ」のエピローグ
「CBSドキュメント」は、レポートの前後に日本のスタジオの映像をはさんで、男女の案内役が解説をする構成になっています。男性はずっとピーター・バラカンで変わらず、女性は「1971年の青春」を放送した頃は石井苗子でした。彼女は解説で、「1971年の青春」の最後が同窓生たちの現在の姿を短く紹介していることに触れて、劇映画みたいでしたね、と言ってました。
わたしも、「アメリカン・グラフィティ」(1973年)の最後で登場人物のその後を告げる字幕が出たのを思い出し、同感だったのですが、よく考えるとこれは話が逆でしょう。登場人物のその後を字幕で補足するのは、ドキュメンタリー映画や事実にもとづく再現ものの映画で古くから使われていた手法だったはずです。フィクションのはずの劇映画で同じことをして、登場人物に真実味を持たせる効果を狙ったのは、ドキュメンタリーの手法のパロディーというか後追いだと思います。それなのに、いつの間にかこの手法がフィクションの映画のものという認識になっていた(少なくともわたしには)のが面白いです。
そこで気になったのが、映画のエピローグで登場人物のその後を伝えるものがどのくらいあるのかということです。インターネット・ムービー・データベースには下記のリストがあり、123本が列挙されていました。
http://www.imdb.com/keyword/what-happened-to-epilogue/
もちろん、これですべて網羅されているわけではないでしょうが、参考になるリストだと思います。ざっと眺めると、「間違えられた男」(1956年)、「私は死にたくない」(1958年)、「フレンチ・コネクション」(1971年)など、実在の人物がモデルになった映画の例は昔から多いです。「アメリカン・グラフィティ」も、脚本家の頭の中でモデルになった実在の人物はいるかもしれませんが、基本はフィクションと考えられます。フィクションなのに登場人物のその後を付け足した映画は、このリストを見る限り「アメリカン・グラフィティ」が最初だったようです。「アニマル・ハウス」(1978年)、「初体験リッジモント・ハイ」(1982年)などは明らかに<本家>を意識していて、本家に対する皮肉とかあてこすりの感じもあったと思います。
リストに見当たらない作品で思いついたものにビリー・ワイルダー監督の「フロント・ページ」(1974年)があります。ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの名作戯曲を映画化しているので、明らかに完結しているフィクションですが、このバージョン(3度目の映画化)では登場人物のその後が書き加えられていました。ジャック・レモン扮する記者を呼び戻すために手段を選ばなかったウォルター・マッソーのキャラクターが、大学で報道倫理を教えている、という具合に皮肉たっぷりの字幕が続きます。中でも可笑しいのが、死刑囚の精神鑑定を依頼された医師エグルホッファーが、のちに「インポテンツの喜び」という本を出版し、ベストセラーになった、というものです。本や映画の中で、実在しない本や映画のタイトルが出てくることはしょっちゅうありますが、"The Joy of Impotence"とはつけもつけたりと思いました。この<ありえない>タイトルを字幕に出すことで、フィクションをノンフィクションらしく見せかける手法を嘲笑しているようにも感じられます。




















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