2007年11月記事一覧
1967年、「ローズマリーの赤ちゃん」がベストセラー・リストをにぎわせていたころ、アイラ・レビンの"Dr. Cook's Garden"という戯曲がブロードウェイの舞台にかけられました。これも短期間の上演で終わってしまいましたが、のちにTVムービーとして映像化されています。日本では、この戯曲が翻訳上演されたことも、TVムービーが放送されたこともないみたいです。数年前、戯曲をネット書店で注文して読んでみました。
ニューイングランド州の小さな町が背景となっていて、タイトルのドクター・クックは町でただ一人の医師という設定です。彼のところに医者になりたての若者ジムがやってきます。ジムはこの町の出身で、ドクター・クックは久しぶりに再会する彼の恩人です。2人の台詞には舞台に登場しない町民の名前がたくさん出てきて、あの人はどうなった、この人はどうなったとゴシップに花が咲きます。のどかな始まりから打って変わって、作者はドクター・クックに関する恐ろしい疑惑を提示します。ジムはその疑惑を確信に変えて、ドクターと対決します。読みながら、10年ほど前にアメリカではなくイギリスで発覚し、日本でも報道された、小さな町の医師をめぐる事件を連想しました。
アイラ・レビンは、小説「ブラジルから来た少年」でクローン技術を題材にし、「ステップフォードの妻たち」ではロボットテクノロジーを取り上げました。いずれも、近未来SFの題材にふさわしそうなテーマなのに、現代の話として書いている点が共通しています。"Dr. Cook's Garden"は、最新テクノロジーこそ出てこないものの、同じ系列に入る作品だと思います。ここで扱われている問題は今もまったく解決しておらず、イギリスの事件と同じことが世界のどの町で現在進行中であっても不思議ではないと言えます。戯曲が書かれた40年前に荒唐無稽と片付けられたことが、現在は現実味を持つようになったのかもしれません。
配役のことを書きます。舞台では、ドクター・クックはバール・アイブスが演じました。映画「熱いトタン屋根の猫」ではビッグ・ダディ役でした。ウィリアム・ワイラー監督の「大いなる西部」でチャック・コナーズの父親を演じてオスカーを受賞した人です。舞台のジム役は「2001年宇宙の旅」や「バニー・レークは行方不明」のケア・デュリアでした。TVムービーでのドクター・クックはビング・クロスビーでした。彼の悪役は珍しいと思いますし、犯罪ものに出演するのも珍しいでしょう。コロンボ警部の候補だったと言われますが、実際にミステリーものに出演した例はこの作品ぐらいではないでしょうか。
アイラ・レビンはアガサ・クリスティーの戯曲集に序文を寄せています。収録されているのは「ねずみとり」「検察側の証人」「そして誰もいなくなった」「評決」「死との約束」「ホロー荘の殺人」「ゼロ時間へ」「殺人をもう一度(五匹の子豚)」の戯曲8作品です。このうちオリジナル戯曲は「評決」のみで、あとはクリスティー自身が先に発表した長編小説・短編小説・ラジオドラマを舞台用に脚色したものばかりです。
レビンは、ミステリー劇は作家1人につき傑作が1つしか書けない特殊なジャンルだと述べて、ただひとり、クリスティーだけが「ねずみとり」「検察側の証人」「そして誰もいなくなった」と3つも傑作を残したと誉めちぎっています。レビンが他にミステリー劇の名作として挙げているのは、エムリン・ウィリアムズ作「夜は必ず来る」、パトリック・ハミルトン作「ガス燈」、ウィリアム・マーチ原作、マックスウェル・アンダーソン脚色「悪い種子」、フレデリック・ノット作「ダイヤルMを廻せ」、アンソニー・シェーファー作「探偵/スルース」です。
レビンのリストに入っていない有名なミステリー劇を思い浮かべると、ジョセフ・ケッセルリング作「毒薬と老嬢」、J・B・プリーストリー作「夜の来訪者」など、確かに1作だけ飛びぬけて評価の高い例が目立ちます。でも、P・ハミルトンは「ロープ」、F・ノットは「暗くなるまで待って」、プリーストリーは「危険な曲がり角」を加えたいと考える演劇ファンも多いのではないでしょうか。
レビン本人が書いたミステリー戯曲では「デストラップ」が十分リストに加わる資格を持っていると思います。ロングランの記録では、「ねずみとり」には負けるものの、「検察側の証人」や「探偵/スルース」をしのいでいますから。レビンのほかのヒット戯曲はいずれもコメディーで、ミステリーものは短期間しか上演されませんでした。もちろん、短期上演で終わった作品の中に傑作がまぎれている可能性もありますが、代表作は「デストラップ」で決まりでしょう。
「デストラップ」の初演は1978年で、この序文が書かれたのと同じ年です。クリスティーが亡くなったのが76年1月なので、彼女の没後に戯曲集出版の企画が持ち上がったのでしょう。レビンは、劇作家を目指す若者に対して、クリスティーの原作小説と戯曲版を読み比べれば、戯曲では登場人物を減らしてプロットを単純化するのが成功のコツだと分かるだろう、とアドバイスしています。序文のこのあたりを読んでいると、「デストラップ」でベテラン作家シドニーと新人作家クリフォードがミステリー戯曲の書き方を論じる場面が連想されて興味深いです。
また、最後の段落では、レビンが15歳のとき「そして誰もいなくなった」をニューヨークの劇場で見て、ミステリー劇のスリルに夢中になった思い出を語っています。海外の通信社が配信したレビンの訃報記事にもこのエピソードが書かれていました。短い文章ですので、アイラ・レビンがお好きな方は英和辞典を片手に読んでみられることをおすすめします。アマゾン・ジャパンの「なか見!検索」機能を利用すれば簡単です。
アイラ・レビンの小説「ローズマリーの赤ちゃん」は1967年に発表されました。物語の背景となっているのは1965年から66年にかけてのニューヨークです。
ローズマリー(映画ではミア・ファロー)の夫ガイ・ウッドハウス(ジョン・カサベテス)は俳優で、役を得るために苦戦中という設定のため、作中には具体的な映画・演劇・テレビ作品のタイトルがあちこちに出てきます。
タイトルには実在のものと架空のものが混じっています。実在のものについてちょっと調べてみました。
お断りしておきますが、わたしはハヤカワNV文庫版の翻訳書しか持っておらず、原書の英文にはあたっていません。以下は日本語訳にもとづく推測ですので、ご了承ください。
・12ページ
ガイが出演したことのある「ルーテル」は、ジョン・オズボーンによるマルティン・ルターの評伝劇。アルバート・フィニー主演でブロードウェイで上演され、トニー賞作品賞を得ましたが、同じオズボーンによる「怒りをこめて振り返れ」「寄席芸人」に比べると今日では再演されることが少ないようです。
「誰もアルバトロスを愛さない」はロナルド・アレキサンダーという作家によるコメディー。「ザ・ミュージックマン」のロバート・プレストンが主演して約200回上演。
・30ページ
ガイが出演したのをミニー・キャスタベット(映画ではルース・ゴードン)が見ていた昼帯ドラマ「別世界」とは"Another World"のことでしょう。1964年スタートで1999年まで続いた長寿ソープオペラです。ガイはごく初期の頃に出演したことになります。
・33ページ
ここにはガイのライバルたちが出ている、地方でトライアウト(試演)中の芝居が列挙されています。そのうち「うるさい! 猫め!」は前回ご紹介した"Drat! The Cat!"だと思われます。レビンは自作ミュージカルの題名をここに紛れこませたわけです。
「ホット・セプテンバー」とはウィリアム・インジ作「ピクニック」のミュージカル版です。1965-66年のシーズンに企画されていて地方トライアウト中にポシャってしまった幻の作品だそうです。
・92ページ
ガイからもらったチケットでローズマリーが見に行く「幻想(ファンタスティックス)」とは、ミュージカル「ザ・ファンタスティックス」でしょう。日本でも古くから上演されていますが、この小説が翻訳された頃には知られていなかったものと思われます。現在なら"Try to Remember"のナンバーがCMソングとして日本人にもおなじみのはず。この作品は1960年初演で、続演中の64年から65年にかけてツアーを行いました。ツアー版には"Drat! The Cat!"の主演俳優エリオット・グールドと、当時まだ新人だったライザ・ミネリが出演していました。
ローズマリーが見たのはオフ・ブロードウェイでロングラン中の公演でしょう。これについて、244ページの彼女の台詞に「ロンドンであのアガサ・クリスティーの戯曲が大当たりをとっているように、きっと永久にロング・ランを続けますわよ」とあります。クリスティーの戯曲とは「ねずみとり」のことです。「ねずみとり」は現在も途切れずロングラン中ですが、「ザ・ファンタスティックス」は2002年まで40年以上続いた後しばらく休演して、また上演を始めました。
同じページに出てくる「夜まで待て」とは「暗くなるまで待って」ではないでしょうか。オードリー・ヘップバーン主演の映画で有名な、フレデリック・ノット作のサスペンス劇です。3人の男たちがヒロインを追いつめる筋書きが「ローズマリーの赤ちゃん」と重なります。
・97ページ
ガイは「可愛い小鳥」の台本からチャンス・ウェイン役を読んでローズマリーに聞かせた、とあります。これはテネシー・ウィリアムズ作"Sweet Bird of Youth"で間違いないでしょう。チャンス役は初演の舞台でも映画版(邦題「渇いた太陽」)でもポール・ニューマンが演じました。年増女優の若いツバメとなってのしあがろうとする男の役なので、野心的なガイは地で演じられたでしょう。
・122ページ
映画「ファニー・フェイス」を見た、とあります。フレッド・アステアとオードリー・ヘップバーン共演の「パリの恋人」と思われます。
・130ページ
「ノー・ストリングス」のアルバムが出ていた、とあります。リチャード・ロジャースが作詞・作曲したミュージカル(62年5月から63年8月まで580回上演)のオリジナル・キャスト盤のことでしょう。
・213ページ
「モーガン!」を見に行ったり、「メイム」の試演を見に行ったりもした、とあります。「モーガン」はカレル・ライス監督の日本未公開作。VHSは発売されたようです。珍しくもデビッド・ワーナーが主演だとか。ワーナーの顔は「ローズマリーの赤ちゃん」の世界にぴったりだと思うので、彼にはぜひ映画版に出てほしかったです。
「メイム」はパトリック・デニスの小説に基づく舞台劇「メイム叔母さん」をミュージカル化したものです。作詞・作曲はジェリー・ハーマン。66年5月にプレビューが行われ、初日を迎えています。
これ以外にも実在の映画スターや作品の名前がいろいろ出てきます。1965年当時に最先端だったもの、レビンの嗜好に合うものが選ばれているようです。タイトルをキーワードに検索しながら、1965年の空気が小説の中に缶詰にされているように感じました。
アイラ・レビンが今月12日に78歳で亡くなりました。日本では彼は、「死の接吻」(1953年)と「ローズマリーの赤ちゃん」(1967年)を書いた小説家として知られています。2作とも映画化されただけでなく、原作と断っていなくても、この2作のプロットを土台にしたとおぼしき小説や映像作品が数多くあります。
レビンは、2つの代表作を発表する間に、生放送のテレビドラマ、戯曲、それにミュージカルの台本を書いています。今後はこの時期の活動にスポットが当たってほしいと、わたしは思っています。
テレビドラマの1つ"No Time for Sergeants"(1955年)は、マック・ハイマンという人の小説を脚色した軍隊もののコメディーでした。レビンがこれを舞台劇に仕立て直したところ、ブロードウェイで上演回数が800に近いヒット(55年10月から57年9月)となり、マービン・ルロイ監督により映画化(邦題「軍曹さんは暇がない」1958年)されました。さらに、先祖がえりと言えばいいのか、同作品は1964年に30分のテレビシリーズになりました。ほかにも戯曲「劇評」(1960年)が約200回上演され、これも映画化されています。以上はすべて成功作と呼べるでしょう。しかし「劇評」の前後に書いた2つの戯曲は1週間も上演されずに打ち切られました。
その後、1965年に発表したのがミュージカル"Drat! The Cat!"です。1890年代のニューヨークを舞台に、気弱な巡査と女宝石泥棒が<猫とねずみ>(当初のタイトル)よろしく追いかけっこするというコメディーです。レビンはまず台本・詞・曲をすべてひとりで手がけて、「野郎どもと女たち」などの作者フランク・レッサーの前で歌ってみせたそうです。その後、エージェントから紹介されたミルトン・シェーファーが作曲を担当し、手直しを重ねながら、エリオット・グールドとレスリー・アン・ウォーレンの主演でブロードウェイにたどりついたものの、8回の上演で打ち切り。ただし、グールドの当時の妻バーブラ・ストライサンドが、劇中でグールドが歌った"She Touched Me"をレコードに吹き込み、ヒットさせました。歌い手の性別に合わせて"He Touched Me"と変えられた曲はスタンダード・ナンバーになり、のちにCMにも使われたそうです。おそらくレビンの小説をひとつも読んだことがなく、「軍曹さんは暇がない」や「デストラップ」を見たことのないアメリカ人でさえ、この曲をCMソングとして聞いたことがあるのじゃないでしょうか。どれだけ多くの人に届いたかを基準にすれば、"He Touched Me"の歌詞こそレビンの代表作と言えるかもしれません。
"Drat! The Cat!"の中では"(S)he Touched Me"が飛びぬけて有名になりましたが、作品全体も根強く支持されています。ここ3回連続登場のブルース・キンメルがプロデュースした、"Drat! The Cat!"の全曲を収めたCDが1997年に発売されました。上に書いた作品成立の経緯は、同CDに封入された小冊子にレビンと解説者が寄せた文章から抜粋したものです。聞いてみると確かに楽しいナンバーがたくさんあり、この作品が忘れられず、CDの形で残ったことを感謝したくなりました。
レビンはさまざまなジャンルで活躍したため、全体像が見えにくい作家です。日本にいて見えるのは、彼の顔の一部に過ぎないと思います。亡くなった後の紹介で、また違った顔を見せてくれるのではないかと楽しみにしています。
"Prime Time Musicals"の収録曲を紹介したあと、プロデューサーのブルース・キンメルは「シンデレラ」と"Evening Primrose"の曲を選ばなかった理由を、この2つのTVオリジナル・ミュージカルについては別のCDでとりあげているからだと述べています。
"Evening Primrose"(1966年)はスティーブン・ソンドハイムが作詞・作曲を手がけた作品です。彼は「ウエスト・サイド物語」と「ジプシー」の作詞で世に出て、「ローマで起った奇妙な出来事」からは作詞と作曲の両方を手がけるようになり、つい先日リバイバル版がNHK教育で録画中継されていた「カンパニー」や、イングマル・ベルイマン監督の「夏の夜は三たび微笑む」に基づく「リトル・ナイト・ミュージック」などを発表し、ブロードウェイで押しも押されもせぬ存在になりました。ジョニー・デップ主演、ティム・バートン監督のコンビで映画化されて公開間近の「スウィーニー・トッド」もソンドハイム作品です。
ソンドハイムには熱心なファンが数多くいて、彼のどんなマイナーな作品でも聞いてみたい、所有したいと思っているようです。だから、通常振り返られることのないTVオリジナル・ミュージカルでも、ソンドハイム作品となると話は別なのです。"Evening Primrose"のために書かれた4つの曲は、最低でも3種類のCDで聞くことができます。わたしが持っているのはマンディ・パティンキンの"Dress Casual"というアルバムのみで、ここではパティンキンとバーナデット・ピータースの顔合わせで収録されています。パティンキンとピータースは映画俳優としても活躍していますが、ミュージカルが本業で、ソンドハイムの「ジョージの恋人」で共演しました。ブルース・キンメルが手がけたのは"Sondheim at the Movies"というCDで、これには「薔薇のスタビスキー」「レッズ」「ディック・トレイシー」など、ソンドハイムが映像のために書いた音楽が集大成されているようです。
"Evening Primrose"はジョン・コリアの短編小説を原作としています。わたしの知る範囲では、今月出版された『ナツメグの味』(河出書房新社)に「宵待草」として収録されたものが"Evening Primrose"の原作の初翻訳です。小説は、世を捨てて百貨店にひきこもることにした詩人スネルの手記の形をとっています。スネル以外にもさまざまな動機から百貨店に住み着いている人たちがいました。スネルは、子どものころに百貨店に置き去りにされたエラという女性と恋に落ちます。TV向けミュージカルでは、スネル役をソンドハイムと親しかったアンソニー・パーキンスが演じました。
「シンデレラ」と違って"Evening Primrose"の映像はDVD化されていませんが、ニューヨークのMuseum of Television and Radioが所蔵していて、リクエストすれば見られるのだとか。インターネット・ムービー・データベースのこの作品のページには、博物館に出向いて作品を見た人の熱のこもったコメントが寄せられています。
ソンドハイムとアンソニー・パーキンスが協力した他の作品に映画「シーラ号の謎」があります。2人が執筆したオリジナル・シナリオに基づくハーバート・ロス監督のミステリーもので、パーキンスは出演していません。これは690円のDVDで簡単に手に入れられます。ニューヨークまで行かないと見られない"Evening Primrose"と対照的です。もし"Evening Primrose"がジョニー・デップあたりの主演でリメイクされれば簡単に見られるようになるかもしれません。
テレビの黄金時代と呼ばれる1950年代に生放送されたドラマの中には、映画化されたり舞台化されたりして今も親しまれているものがたくさんあります(「十二人の怒れる男」「マーティ」「ダイヤルMを廻せ」「奇跡の人」「ニュルンベルク裁判」・・・)。それらは舞台劇でいうストレートプレイばかりです。テレビのオリジナル作品にはミュージカルもあるのですが、そのことはあまり知られていません。わたしもブランディ版「シンデレラ」が放送されるまで知りませんでした。
しばらく前、"Prime Time Musicals"というCDを入手しました。これにはコール・ポーター、アーサー・シュワルツなどの一流どころが、主として50~60年代にテレビのために書き下ろしたミュージカルの曲が集められています。オリジナルの録音ではなく、当時のスコアを新たに編曲して、現代の実力派歌手たちが歌っています。
小冊子の解説から抜粋しますと、次のようなオリジナル・ミュージカルがテレビのために作られていたそうです。
・コール・ポーター作詞、作曲、S・J・ペレルマン台本による「アラジン」は、サル・ミネオ主演、ほかにシリル・リチャード、ベイジル・ラスボーン、アンナ・マリア・アルベルゲッティが出演。
・バート・バカラックとハル・デビッドのコンビが「プロミセス、プロミセス」の直前に手がけた"On the Flip Side"は、リッキー・ネルソン主演で落ちぶれたロックンローラーが天使に救われるという筋書き。
・バーナード・ショーの戯曲を「シャレード」などのピーター・ストーンが脚色した"Androcles and the Lion"は、ノエル・カワードとノーマン・ウィズダムの主演。作詞、作曲はリチャード・ロジャース。
・ビング・クロスビーとジュリー・アンドリュース主演の"High Tor"は、マックスウェル・アンダーソンが自身の戯曲を脚色し、作詞も手がけたもので、作曲はアーサー・シュワルツ。クロスビーは山の所有者の役で、その山でアンドリュース扮する300歳の幽霊を見つける話。
・ベティ・ハットンとケビン・マッカーシーが主演した"Satins and Spurs"は、「ボタンとリボン」「ケ・セラ・セラ」などのジェイ・リビングストンとレイ・エバンズが作詞と作曲を担当。ロデオ・クイーンとカメラマンのラブストーリー。
・キャロル・リンレーが15歳のときに出演した"Junior Miss"は、ドロシー・フィールズ作詞、バートン・レーン作曲。ドン・アメチが父親、ジル・セント・ジョンが姉の役で共演。
・オスカー・ワイルドの「カンタヴィルの幽霊」ミュージカル版は、マイケル・レッドグレーブ主演。作詞、作曲は「屋根の上のバイオリン弾き」のジェリー・ボック&シェルドン・ハーニック。
・ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンが書いてジュール・スタインが曲をつけた"I'm Getting Married"の出演者はディック・ショーンとアン・バンクロフトの2人のみ。
・サミー・カーンとジェームズ・バン・ヒューゼンは、ソーントン・ワイルダー作「わが町」のミュージカル版(フランク・シナトラ、ポール・ニューマン、エバ・マリー・セイントほか出演)とジーン・ケリー主演の「ジャックと豆の木」に曲を提供。
etc.
多彩な作品群ですが、「シンデレラ」と違って何度もリメイクされたり劇場で上演されたりはしていないようです。CDに収められた曲を聞いた限りでは質も高そうなのに、このままではもったいないです。
こういうアンソロジーをCDの形で世に出すことで、テレビ・オリジナルのミュージカルを見直そうと提案したプロデューサーのブルース・キンメルはエラいと思います。
"The Women"(1939年)の出演者には、バタフライ・マックイーンなどの黒人女優も含まれていますが、メイン・プロットにからんでくる重要な役ではありません。1956年の最初のリメイク版についてはよくわかりませんが、おそらく重要な役はすべて白人スターが占めているでしょう。メグ・ライアン主演の最新リメイクには、ヒスパニック系のエヴァ・メンデスとアフリカン・アメリカンのジェイダ・ピンケット=スミスが重要な役回りで出演するようです。
似たパターンとして、レジナルド・ローズ作の「十二人の怒れる男」があります。最初の生放送のテレビドラマとヘンリー・フォンダ主演の映画版で陪審員を演じたのは全員白人の男優でした。しかし、1997年にTVムービーとしてリメイクされたときは、黒人俳優が4名、ヒスパニック系が1名含まれていました。それでも陪審員が全員男性という点は同じで、冒頭に登場する裁判官を演じたメアリー・マクドネルだけが女性でした。被告の少年がヒスパニック系という設定は最初から変わってないようです。この作品は舞台でも上演されていますが、そのキャストが白人ばかりかどうか、ちょっと調べただけでは分かりませんでした。
この2つのケースは、実社会の構成比を配役に反映させた結果、白人ばかりではなくなったのでしょう。実力・人気を備えた白人以外のスターが増えてきた結果でもあると思います。次のケースは少し事情が違います。
「南太平洋」や「サウンド・オブ・ミュージック」で有名なリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世のコンビが、テレビ向けに「シンデレラ」のミュージカル版を書き下ろしました。最初のバージョンはジュリー・アンドリュース主演で、1957年3月、「マイ・フェア・レディ」の舞台に出演中だった彼女が1日休んで出演し、生放送されました。その後、1964年にレスリー・アン・ウォーレン主演でリメイクされました。この2つのバージョンは白人中心のキャストでしたが、1997年に作られたバージョンはブランディの主演で、肌の色を無視したキャスティングが特徴でした。シンデレラは黒人、継母は白人、意地悪な姉たちは1人が黒人で1人が白人、王子はフィリピン出身のアジア系、王様は白人、王妃は黒人という具合です。これはおとぎ話の映像化だから出来たことでしょう。舞台では白人を想定して書かれた役を黒人俳優が演じることも珍しくありませんが、映像はリアリズムが足を引っ張るので、ブランディ版「シンデレラ」のような例はまれだと思います。
ブランディ版は、字幕版と吹替版がBSで放送されていたのを見ましたが、VHSやDVDは出ていません。レスリー・アン・ウォーレン版は日本に入ってきたことはないようです。ジュリー・アンドリュース版もそれは同じですが、輸入盤CDでサウンドトラックが簡単に入手できます。わたしもそれを持っていて、小冊子の解説を読み、生放送だったのでこのバージョンの記録は残ってないものと思い込んでいましたが、最近になってモノクロのキネコが発見されたと聞いて驚きました(57年当時に普及していたテレビはモノクロでしたが、放送はカラーだったのだとか)。その映像に存命の関係者たちのインタビュー映像を加えたDVDがアメリカで発売されています。日本語版をぜひ発売してもらいたいです。
「20年目の疑惑」は、舞台劇に脚色できそうな、少人数で場所の限定されたドラマでしたが、同じく出演者が全員女性の"The Women"(1939年)も原作は舞台劇です。ブロードウェイで666回のロングランのあと映画化されたもので、これまたジョージ・キューカー監督の日本未公開作です。キューカー監督をはじめ、スタッフは男性がほとんどで、その点は「20年目の疑惑」と異なりますが、原作者クレア・ブースは女性。出演者はエキストラも含めて舞台版30人以上、映画版130人以上のすべてが女性です。
メアリー(ノーマ・シアラー)の夫が香水店で働くクリスタル(ジョーン・クロフォード)と浮気していると知ったシルビア(ロザリンド・ラッセル)は、ネイリストを使ってメアリーに浮気のことを知らせます。メアリーは、浮気の事実を確かめて離婚する決意をし、手続きを簡単にすますため、リノへ行きます。そこで、伯爵夫人フローラ(メアリー・ボーランド)とミリアム(ポーレット・ゴダード)と知り合います。シルビアがリノへやって来て、ある偶然が明かされます。さらに、メアリーはクリスタルに関するある情報をつかみ、いったん離婚した夫を取り戻す作戦に出ます。この主筋に、メアリーの母や友人などがにぎやかにからんできて、男性は一度も画面に登場しません。ほかの出演者はルシール・ワトソン、マージョリー・メイン、ジョーン・フォンテイン、ルース・ハッシー、ヘッダ・ホッパーなどです。
昔の作品で、日本語訳のついたソフトが出回ってないのに筋書きを詳しく書かなかったのは、この映画のリメイクが進行中で、リメイク版は日本で見られそうだからです。バラエティ・ジャパン11月14日付けの記事「ウィル・スミスの妻が映画監督デビュー」によると、すでに撮影は終わっているみたいです。インターネット・ムービー・データベースで調べたら、ジェイダ・ピンケット=スミスはミリアム役だそうで、メアリーがメグ・ライアン、クリスタルが「最後の恋のはじめ方」でウィル・スミスの相手役だったエヴァ・メンデス、「ウィル&グレイス」のデブラ・メッシングがシルビア、ベット・ミドラーがフローラとなっています。ほかに、キャリー・フィッシャー、アネット・ベニング、クロリス・リーチマンなどが出演予定。キャンディス・バーゲンがメグ・ライアンの母親を演じるらしいですが、この配役はキューカー監督の遺作「ベストフレンズ」を意識したものでしょう。
"The Women"は「フロント・ページ」より新しい戯曲ですが、再上演したり再映画化するには女性の描き方をかなりいじる必要がありそうです。香水店の店員にしろ、ネイリストにしろ、職業を持っている女性を社会がどう見ているかが、戯曲の書かれた当時と今では随分違っていると思うからです。リメイクの脚色と監督を担当するダイアン・イングリッシュは、キャンディス・バーゲン主演のTVシリーズ「マーフィー・ブラウン」をヒットさせた人なので、台詞のウィットを現代でも通じるものに変えるのはお手のものでしょうけど、今回も専業主婦メアリーに観客が感情移入できるような脚色が可能でしょうか。ダイアン・イングリッシュは映画監督は初めての経験のようで、その点も少し心配です。
なお、"The Women"は70年代と2001年の2回、ブロードウェイで再演されています。70年代はキム・ハンター、アレクシス・スミス、ロンダ・フレミング、マーナ・ロイらの出演、2001年版はシンシア・ニクソン、ジェニファー・ティリー、エイミー・ライアン、ルー・マクラナハンらの出演で、この演目には女性スターの顔見世の役割があるようです。
また、再映画化も1956年に"The Opposite Sex"(デビッド・ミラー監督)として前例があります。ただし、このときは男性の役も画面に登場したようです。このバージョンの出演者は、ジューン・アリスン、ジョーン・コリンズ、ドロレス・グレイ、アグネス・ムーアヘッドなどで、男性はレスリー・ニールセン、ジェフ・リチャーズなどの名前が見えます。
「セレブリティー」も「レッサー・エヴィル」も、主役は男性ばかりで過去の罪をひきずっている話ですが、こういう話の女性版はなかったかと考えているうちに、ちょっとテーマは違うものの、表題の作品を思い出しました。日曜洋画劇場で放送されたTVムービーで、副題も含めると「20年目の疑惑/女子大生寮に秘められた6人の過去」となります。アメリカでの放送は1979年ですが、日本では1986年でした。
古くなった女子寮の建物が壊されて、その跡から胎児の白骨が発見されます。該当する時期に寮にいた女性6人が集められます。1950年代当時、違法だった堕胎を寮で行ったのは誰か、再会した6人の旧友たちが過去を振り返りながら、それをあぶりだしていくというストーリーでした。6人の女性に扮したのは、ポーラ・プレンティス、ティナ・ルイーズ、ステラ・スティーブンス、キャスリン・デーモン、ロレッタ・スウィット、シェリー・フェブレー。このほか、事件を調査するのもソンドラ・ロック扮する女性、寮母や回想シーンで6人の若い頃を演じるのも当然女性で、要は出演者すべてが女性でした。それだけでなく、主要スタッフもほぼすべて女性で固め、撮影監督のみ男性だったようです。
「セレブリティー」や「レッサー・エヴィル」の男たちが全員何らかの罪を犯していたのと違って、この作品の女たちのうち、堕胎をしたのは1人だけです。物語の最後で、それが誰かは明らかになりますが、女性たちは彼女をかばいあうことにします。また、ドラマの途中でレズビアンだとカミングアウトする女性が出てきます(男性と付き合わないので、堕胎したのは自分ではないというわけです)。ほかの5人は、ずっとそのことを知らなかったのですが、それでも友情は変わらないと彼女を受け入れます。このような女性同士の連帯を描くのが目的で、推理の面白さやサスペンスは二の次という印象を受けました。何より、セピア調の回想シーンが入るとドラマの緊張がゆるむ感じだった記憶があります。回想で絵解きをせずに、現在の場面だけで誰が堕胎したのかを追及する作りにしたら、ジュリアン・デュビビエ監督の「自殺への契約書」(1959年)のような白熱したディスカッション・ドラマに仕上がったかもしれません。
なお、この作品は日本語吹替版も女性スタッフで固めて作ったと、解説の淀川長治さんがおっしゃってました。吹き替えのキャストは、ポーラ・プレンティスが桃井かおりで、シェリー・フェブレー(「うちのママは世界一」の長女役で劇中歌「ジョニー・エンジェル」をヒットさせた歌手)が萩尾みどりでした。そして、演出を担当したのが黒澤明監督の右腕<ガール・フライデー>だった野上照代さんだそうで、録音風景の写真を解説の合間に見せていました。られた6人の過去
「有名になる方法教えます」を見ていて気になったことがありました。字幕に何回か<セレブ>という表現が出てきたのです。最近、乱用されている言葉ですが、50年前に作られた映画の字幕に使うのは控えてほしかったです。<有名人>でも文字数は同じですし、画数が多くて見にくい漢字はひとつもありません。
ウディ・アレン監督の「セレブリティ」(1998年)が公開されたころ、カタカナのセレブやセレブリティが広く使われていたかどうか記憶にないのですが、映画についてもあまり記憶に残っていません。ケネス・ブラナ扮する主人公が小説家志望で、理想の短編小説はアーウィン・ショーの「80ヤード独走」だという台詞があったことは覚えています。パンフレットはタブロイド新聞を模して作られていて、メラニー・グリフィスの写真が大きく使われていました。もうひとつ、ミュージカルで有名なビビ・ニューワース(「シカゴ」のヴェルマ役でトニー賞をとったばかり)が、バナナを使ってジュディ・デイビスにフェラチオの仕方を教える娼婦の役で無駄遣いされていたことも思い出せました。
わたしがセレブリティーという言葉を覚えたのは、テレビのミニシリーズがきっかけでした。93年か94年ごろ、テレビ東京で年越し番組として放送されていた「セレブリティー」がそれですが、今回調べてみると1984年の作品だということです。わたしが見たのは再放送だったのかもしれませんし、塩漬けにされていたのかもしれません。
ジョセフ・ボトムズ、ベン・マスターズ、マイケル・ベックの3人が高校卒業の記念に登山をして山小屋に泊まったとき、女性をレイプする事件を起こし、それを闇に葬ります。3人は秘密を抱えたまま別の道を歩んでいき、それぞれに有名になります。ボトムズはフットボール選手として大成できなかったものの、俳優に転向して成功。マスターズはジャーナリストとして活躍。ベックはテレビ伝道師になります。3人の浮き沈みと並行して山小屋の事件のその後が描かれ、大団円では法廷の場に3人が集められることになるわけです。ベストセラー狙いの扇情小説を忠実に絵解きしていくような作りで、決して名作などではありませんが、ハッタリのきいた場面がところどころにあって印象に残っています。たとえば、ベックが壁に描いたキリストの絵が涙を流しているように見える現象が起きて、ベックが教祖にまつりあげられるくだりがありました。また、ボトムズは確かバイセクシャルの設定で、妻子がありながら付き人として傍にいる男性とも関係を持っていて、その行為をカーテンの隙間から息子が見てしまう場面もありました。その息子を演じていたのが子役時代のリバー・フェニックスでした。脇役が充実していて、ハル・ホルブルック、ジェームズ・ホイットモア、クロード・エイキンズ、ネッド・ビーティ、デビー・アレン、ダイナ・マノフ、テス・ハーパーなどが出演していました。
「レッサー・エヴィル」(1998年)という映画は、主役を男4人にして、もっと真面目に過去の犯罪が現在に及ぼす影響を考察していました。「セレブリティー」は、松本清張の短編「顔」に似て、有名になりたいけれど顔を知られると困るというジレンマを描いた作品だと思います。セレブになることの代償は大きいのでしょう。
ウォルター・ウィンチェルの名前が出てくる映画、小説は数多くあります。つい先日レンタルしたDVDの「有名になる方法教えます」(1954年)にも出てきました。
原題は"It Should Happen to You"といい、ガーソン・ケイニン脚本、ジョージ・キューカー監督の日本未公開作です。映画は、ヒロインのグラディス・グローバー(ジュディ・ホリデイ)がセントラル・パークを裸足で歩いているところから始まります。彼女は、有名になりたくてニューヨークに出てきて下着のモデルをしていたのですが、クビになったばかりでした。グラディスは、大きな看板の広告主を募集しているのを見つけて、貯金をはたいてそのスペースを買い、自分の名前をペンキで大書させます。そのスペースに昔から広告を出していた石鹸会社の御曹司エバン・アダムズ三世(ピーター・ローフォード)がコンタクトをとってきて、グラディスにスペースを売ってほしいと持ちかけます。断るグラディスを口説き落とそうと、エバンはナイトクラブに誘います。グラディスは、セレブリティが大勢いるフロアで踊りながら有頂天になり、「あそこにウォルター・ウィンチェルがいた!」と言うのです。場所は「成功の甘き香り」に出てきたストーク・クラブかもしれません。
グラディスは、看板の半分のスペースを譲って、それと交換に別のスペースを手に入れ、そこにも自分の名前を大書させます。ニューヨークの人々の間で、名前だけが書かれた看板が徐々に話題になります。グラディスはテレビに出演し、看板の名前の主はわたしだと名乗ります。一夜にして有名になったグラディスは、石鹸のCMを手始めに次々と露出を増やし、スターへの道を歩み出します。一方、セントラル・パークで彼女を見かけて、ひと目ぼれしたドキュメンタリー映画作家のピート・シェパード(ジャック・レモン)は、名声に溺れるグラディスが心配でたまりません。彼女のアパートの隣りに引っ越してきて、カメラをたずさえて彼女を見守っているのですが・・・。
主演のジュディ・ホリデイは舞台のスターで、これと同じキューカー監督(脚本も同じケイニンと、彼の妻ルース・ゴードン)の「アダム氏とマダム」(1949年)で映画デビューしました。夫と愛人に発砲して殺人未遂で裁判にかけられる役でした。その翌年、舞台の当たり役を映画でも演じた「ボーン・イエスタデイ」でアカデミー賞主演女優賞を得ました。「イヴの総て」のベティ・デイビス、「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンを破っての受賞です。ちなみに、「ボーン・イエスタデイ」もケイニン脚本・キューカー監督のコンビ作で、日本では劇場公開なしでDVD化されました。メラニー・グリフィス主演のリメイク版は公開されたのに、残念です。ジャック・レモンは、なんとこの映画がデビュー作です。とても初々しくて、プレイボーイ然としたピーター・ローフォードと好対照をなしています。
ホリデイ、レモン、ローフォードの三角関係は誰もが予測する通りに進んでいきますし、50年前と今ではマスコミの発達の度合いが違いますから、グラディスが有名になっていく過程の描写が見ていて物足りなく感じました。今、同じ話を映画にするとしたら、有名になっていく描写はもっと派手になるでしょう。
でも、見どころはいろいろあります。中でも、ピートが撮影したドキュメンタリー映画の挿入の仕方が効果的でした。「アダム氏とマダム」にも8ミリで撮影したファミリー・ムービーが挿入されていましたが、こちらはプロが撮っている設定だからナレーション付きの本格的なもので、とても凝っていました。それに、アパートの同じ階で暮らしているホリデイとレモンの描写が、「アパートの鍵貸します」(1960年)のレモンとシャーリー・マクレーンの予告編のように見えて、これも面白かったです。「アパートの鍵貸します」でレモンの隣りに住む医師を演じてオスカー候補になったジャック・クラッシェンは、この映画ではグラディスの名前を看板に描くペンキ職人を演じています。
なお、ホリデイとレモンは同じ1954年に、もう1本別の映画で共演しています。"Phffft"というタイトルで、これは偶然にもウォルター・ウィンチェルがコラムで多用していた言葉だそうです。有名人のゴシップを話すとき、別れたとか離婚することになったと直接言わずに、<phffftする>というのがウィンチェルの口癖だったのだとか。ホリデイとレモンは、ここでは結婚8年目で離婚する夫婦役らしく、キム・ノヴァクも共演していて面白そうなのですが、アメリカでもDVDが出てないようで日本で見るのは難しいでしょう。
「ヒズ・ガール・フライデー」を舞台用に脚色したジョン・グエアの名前をキーワードにして検索すると、ケビン・ベーコン・ゲームやネットワーク関連のページが多くひっかかります。彼の書いた戯曲"Six Degrees of Separation"が、かの有名なゲームの発想の元となり、<ネットワーク思考>に興味のある人を刺激しているためらしいです。
わたしは、その戯曲を映画化した「私に近い6人の他人」(1993年)をミニシアターで見ましたし、その後「あなたまでの6人」という題で六本木の俳優座劇場の稽古場で翻訳上演されたものも見ました。
キャリアの長い劇作家のようですが、日本で知られている作品は少ないです。
映画では、ルイ・マル監督の「アトランティック・シティ」(1980年)が彼のオリジナル脚本です。これも確かミニシアターで公開された作品でした。バート・ランカスター扮する元ギャングが、隣りに住むディーラー志望のスーザン・サランドンと組んで、マフィアを敵に回す話でした。
ジョン・グエアが「ヒズ・ガール・フライデー」の前に取り組んだのが、映画「成功の甘き香り」(1957年)をミュージカル化することでした。J・J・ハンセッカー(バート・ランカスター)という人気コラムニストに取り入ろうとしたプレスエージェントのシドニー・ファルコ(トニー・カーティス)が破滅していく物語ですが、ハードボイルド的な非情さの漂う映画で、ミュージカルとはあまり結びつかないイメージです。
「成功の甘き香り」には、原作となった短編小説があります。作者は「傷だらけの栄光」(1956年)や「北北西に進路をとれ」(1959年)の脚本を手がけたアーネスト・レーマン。「王様と私」(1956年)「ウエスト・サイド物語」(1961年)など、ミュージカルの大作といえばこの人、という存在でもあります。彼の唯一の短編小説集は長らく絶版だったのですが、「成功の甘き香り」が舞台化されるのに合わせて再刊行されました。その本を取り寄せて読んでみると、ハンセッカーが登場する短編が他にもいくつか含まれていました。いずれも小説というよりもスケッチ程度の短いもので、「成功の甘き香り」だけが中編と呼んで差し支えないくらいの長さでした。
映画を見ても原作を読んでも、この話には飲み込みにくい側面があります。ハンセッカーの職業はコラムニストですが、日本で言うコラムニストとかなり違っているようです。ファルコのプレスエージェントにいたっては、日本に該当する職業があるのかどうか分かりません。「フォーン・ブース」(2002年)でコリン・ファレルが演じた男の職業が似た感じでしたが、今はパブリシストと呼ばれているようです。
また、ハンセッカーにはモデルとなった人物が存在します。その人物、ウォルター・ウィンチェルの影響力はとても大きかったようで、たとえば「裸の女王/ジョセフィン・ベイカー・ストーリー」(1991年)というTVムービーでは、ウィンチェルのコラムで下品な芸と酷評されたことがきっかけで、ジョセフィン・ベイカーはパリに活動の場を移したというように描かれていました。ちなみに、このときウィンチェルを演じたのはクレイグ・T・ネルソンでした。ウィンチェルについては、分厚い伝記も書かれていますし、ルー・エアーズ主演の"Okay, America!"(1932年)とスタンリー・トゥッチ主演の「ザ・ジャーナリスト」(1998年)という2本の伝記映画があります。
ウィンチェルは娘の結婚に反対で、自分の影響力を利用して娘のフィアンセがショービジネス界にいられないようにしたことがあったそうです。小説と映画の「成功の甘き香り」では、娘を妹に変えてあるわけです。この件でウィンチェルの名声も色あせてしまったようで、TVシリーズ「アンタッチャブル」のナレーターを務めるなど、後半生の彼のキャリアは比較的地味です。
ミュージカル版に話を戻しますと、ジョン・グエア台本、マービン・ハムリッシュ音楽、クレイグ・カーネリア作詞、ニコラス・ハイトナー演出という布陣で、ハンセッカー役を演じたジョン・リスゴーがトニー賞主演男優賞を獲得していますから、一定の成果はあったようです。オリジナル・キャストが吹き込んだCDを聞いた限りでは、歌詞や台詞に映画と同じシニカルさが感じとれて好印象でした。ちなみに、原作小説と映画は結末が少し違っているのですが、CDに入っていた小冊子に書いてあったあらすじによれば、ミュージカル版はまた違った終わり方みたいです。脚色されるたびに味わいが変わるストーリーは、わたし好みなので、チャンスがあればこの舞台を見てみたいと思います。
ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーが共作した戯曲"The Front Page"(1928年)の最初の映画化「犯罪都市」(1931年)は、まだ見るチャンスに恵まれませんが、続く「ヒズ・ガール・フライデー」(1940年)「フロント・ページ」(1974年)「スイッチング・チャンネル」(1988年)は見ました。
「ヒズ・ガール・フライデー」は、日本では1986年に初公開されました。当時、わたしは関西に住んでいて、扇町ミュージアムスクエアという演劇の上演で有名な場所で見たせいか、この作品は原作が演劇だということが強く記憶に残っています。
扇町ミュージアムスクエアでは他に、アルフレッド・ヒッチコック監督のサイレント映画数本、ロベール・アンリコ監督の「ふくろうの河」という短編、ロバート・ロッセン監督の「ボディ・アンド・ソウル」などを見ました。
関西の小劇場演劇の中心というだけでなく、ユニークな企画で旧作を上映してくれる映画館の顔も持っていましたが、5年前に閉館してしまいました。
「ヒズ・ガール・フライデー」と「スイッチング・チャンネル」は、主役の敏腕記者ヒルディを女性に変えています。「犯罪都市」と「フロント・ページ」では、ヒルディは原作どおり男性です。
4回映画化されていてVHSやDVDで見ることが出来るのに、舞台版の人気も根強くて、ブロードウェイだけでも3度リバイバルされています。地方劇団の上演も含めたら数え切れないことでしょう。
日本では、10年ほど前に文学座が「特ダネ狂騒曲」のタイトルで取り上げていました。新宿の紀伊国屋ホールに見に行きましたが、時代遅れになっている印象がありました。3幕構成で2回休憩が入るのでダレますし、時代背景を1920年代から1950年代に変更しているのが違和感につながっていたと思います。原作のままでは通じにくいからアップデートするのは良いアイデアですけど、そのやり方が中途半端だと感じました。なお、アップデートは日本側でしたのか、原作にアップデート版が存在して、それを訳しただけなのか、ちょっと調べただけでは分かりませんでした。
この舞台はイギリスでも人気があるようです。1982年には、"Windy City"のタイトルでイギリスでミュージカル化されています。このミュージカル版は、ヒルディが男性のバージョンで、どうやらブロードウェイで上演されたことはないみたいです。さらに2003年には、ヒルディが女性バージョンの"His Girl Friday"をナショナル・シアターが上演しています。これはイギリスのプロダクションではあるものの、脚色のジョン・グエアと演出のジャック・オブライエンはアメリカの有名な演劇人です。少し前に書きました"Frost/Nixon"と逆のコースをたどっているように見えます。
さて、次に考えられるパターンとしては、"His Girl Friday"がブロードウェイで上演される、"His Girl Friday"がミュージカル化される(それがさらに映画化される)といったところでしょうか。"The Front Page"はすでに古典と呼んでいい存在なので、これからもいろんなバージョンが生まれるでしょう。それらと比較するためにも、日本語版DVDが手に入らない「犯罪都市」と「フロント・ページ」を早急にDVD化していただきたいです。
「CBSドキュメント」は、レポートの前後に日本のスタジオの映像をはさんで、男女の案内役が解説をする構成になっています。男性はずっとピーター・バラカンで変わらず、女性は「1971年の青春」を放送した頃は石井苗子でした。彼女は解説で、「1971年の青春」の最後が同窓生たちの現在の姿を短く紹介していることに触れて、劇映画みたいでしたね、と言ってました。
わたしも、「アメリカン・グラフィティ」(1973年)の最後で登場人物のその後を告げる字幕が出たのを思い出し、同感だったのですが、よく考えるとこれは話が逆でしょう。登場人物のその後を字幕で補足するのは、ドキュメンタリー映画や事実にもとづく再現ものの映画で古くから使われていた手法だったはずです。フィクションのはずの劇映画で同じことをして、登場人物に真実味を持たせる効果を狙ったのは、ドキュメンタリーの手法のパロディーというか後追いだと思います。それなのに、いつの間にかこの手法がフィクションの映画のものという認識になっていた(少なくともわたしには)のが面白いです。
そこで気になったのが、映画のエピローグで登場人物のその後を伝えるものがどのくらいあるのかということです。インターネット・ムービー・データベースには下記のリストがあり、123本が列挙されていました。
http://www.imdb.com/keyword/what-happened-to-epilogue/
もちろん、これですべて網羅されているわけではないでしょうが、参考になるリストだと思います。ざっと眺めると、「間違えられた男」(1956年)、「私は死にたくない」(1958年)、「フレンチ・コネクション」(1971年)など、実在の人物がモデルになった映画の例は昔から多いです。「アメリカン・グラフィティ」も、脚本家の頭の中でモデルになった実在の人物はいるかもしれませんが、基本はフィクションと考えられます。フィクションなのに登場人物のその後を付け足した映画は、このリストを見る限り「アメリカン・グラフィティ」が最初だったようです。「アニマル・ハウス」(1978年)、「初体験リッジモント・ハイ」(1982年)などは明らかに<本家>を意識していて、本家に対する皮肉とかあてこすりの感じもあったと思います。
リストに見当たらない作品で思いついたものにビリー・ワイルダー監督の「フロント・ページ」(1974年)があります。ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの名作戯曲を映画化しているので、明らかに完結しているフィクションですが、このバージョン(3度目の映画化)では登場人物のその後が書き加えられていました。ジャック・レモン扮する記者を呼び戻すために手段を選ばなかったウォルター・マッソーのキャラクターが、大学で報道倫理を教えている、という具合に皮肉たっぷりの字幕が続きます。中でも可笑しいのが、死刑囚の精神鑑定を依頼された医師エグルホッファーが、のちに「インポテンツの喜び」という本を出版し、ベストセラーになった、というものです。本や映画の中で、実在しない本や映画のタイトルが出てくることはしょっちゅうありますが、"The Joy of Impotence"とはつけもつけたりと思いました。この<ありえない>タイトルを字幕に出すことで、フィクションをノンフィクションらしく見せかける手法を嘲笑しているようにも感じられます。
「ヘアスプレー」(2007年)を見ながら、中心となるトレイシーとリンクのカップルよりもペニーとシーウィードのカップルに注目していて、いくつかのエピソードを思い出しました。ひとつは、1964年の第36回アカデミー賞授賞式でのことです。この年、シドニー・ポワチエが「野のユリ」で主演男優賞を得たときのプレゼンターは、前年に「奇跡の人」で主演女優賞を得たアン・バンクロフトでした。この2人がキスを交わすのが放送されて、騒ぎになったそうです。アカデミー賞授賞式は全国ネットなので、反応も大きかったようです。もうひとつは近年の話で、舞台「レント」で知り合って結婚したテイ・ディッグズ(家主のベニー)とイディーナ・メンゼル(パフォーマンス・アーティストのモリーン)夫妻が脅迫の手紙を受け取って警察に届け出たというニュースです。2人は映画版にも同じ役で出演していました。いずれの場合も、男性が黒人で女性が白人という組み合わせが、白人優位主義者の反感を買うようです。男性が白人で女性が黒人のカップルが差別されないわけではない(「コリーナ、コリーナ」(1994年)に描かれていました)ものの、シーウィードとペニーのようなカップルのほうが成立しにくい状況なのでしょう。肌の色による差別と女性に対する差別が絡み合っていて複雑な問題です。
最後のひとつが表題のテレビ番組です。「CBSドキュメント」は、現在は水曜深夜に放送している1時間番組で、「インサイダー」(1999年)のベースになった「60ミニッツ」など、アメリカCBS制作の報道番組から選ばれたレポートで構成されています。この番組が日曜深夜枠だった1992年に、「1971年の青春」というレポートを放送しました。これがきっかけで、わたしは「CBSドキュメント」を録画して見るようになりました。
「ヘアスプレー」は1962年のメリーランド州が舞台で、すでに白人と黒人は同じ学校に通っていました。このレポートは、8年後、ノース・カロライナ州の高校で、同じ学校に通うことを強制された経験を持つ白人と黒人の生徒たちが、卒業20周年の同窓会に集う様子を取材しています。生徒たちの証言で、白人と黒人の間に緊張が高まり、暴動に発展して、警察が校内で鎮圧にあたった出来事が語られます。その最中、和解を呼びかけた黒人男子生徒がいました。彼と、同じ聖歌隊に属していた白人女生徒との間に、ロマンスがあったことが分かってきます。人目をしのばなければならなかった2人は、翌年に卒業した後で別れてしまいました。カメラは同窓会で再会する2人をとらえます。黒人と白人の間のわだかまりは続いていて、同窓会に出席した黒人はごく少数でした。レポーターのモーリー・セイファーは、証言した同窓生たちに2人のロマンスを知っていたかと訊ねます。うすうす感づいていた人もいれば、まったく知らなかった人もいました。
レポートは、同窓生たちの現在の日常をとらえた短いショットの積み重ねで終わります。郵便局員、エレクトロニクス会社経営、銃砲店経営、エアロビクス教師など。和解を呼びかけた黒人男性は市の運輸局勤務、相手の女性はプロのオペラ歌手になっていました。15分足らずのレポートにこれだけの内容を盛り込む語り口の滑らかさに、何度見ても感心させられます。
ミュージカル版「ヘアスプレー」(2007年)を見てきました。以前も書きましたが、わたしは原作にあたる同名映画(1988年)を見ていません。ブロードウェイで舞台化されたものも見ていませんが、オリジナル・キャストによるCDは持っていて、何度か聞きましたし、小冊子に載っていた歌詞やシノプシス、ジョン・ウォーターズの寄稿にもざっと目を通しました。という具合に、ある程度は予備知識のある状態で見たわけです。
なかなか楽しい映画でした。冒頭のトレイシー(ニッキー・ブロンスキー)が登校する場面やデモ行進の場面など、屋外のシーンが効果的だったと思います。中でも、家にこもりきりの母親エドナ(ジョン・トラボルタ)をヒロインが外に連れ出す場面が印象的でした。トレイシーの影響で、エドナがハメをはずしていく過程がスクリーンから伝わってきました。
ポーリン・ケイルがオリジナルの「ヘアスプレー」を評した中で「狂気をはらむ」という表現を使っています。"5001 Nights at the Movies"で該当箇所を見ると、どうやら原文は"has something like the lunacy"のようです(原著"Hooked"では違う表現かもしれません)。ジョン・ウォーターズがCDに寄せた文章にも"lunacy"という単語が含まれています。これは「月(Luna)」に由来する単語で、精神異常とか馬鹿げた行動を意味します。「カオス・シチリア物語」(1984年)の「月の病」という一編や「月の輝く夜に」(1987年)など、登場人物が月に影響されて突飛な行動をする映画は多いです。「ヘアスプレー」では、ヒロインのトレイシーが<月>で、周囲の人は彼女の影響で今までと違う行動をとることになるようです。
わたしは60年代の音楽より、さらに古いタイプの曲が好きなので、CDで聞いた中ではトレイシーの両親のデュエット"You're Timeless To Me"がお気に入りでした。映画ではトラボルタとウォーケンのデュエットになると分かったときから期待していました(ウォーケンの役はビリー・クリスタルが演じると噂され、ジム・ブロードベントで撮影に入ったという噂もありました)。2人が物干し場を移動しながら歌い踊り、何度か衣装も替える演出ではありましたが、ちょっと物足りなかったです。せっかく出演者の中でも知名度の高いスター同士なのですから、もっと大きなステージで派手に見せてくれてもよかったと思います。
もう1人知名度の高いスターではミシェル・ファイファーが出ていて、悪役を楽しそうに演じていました。彼女と上司役のポール・ドゥーリーぐらいしか人種差別発言をしないのが腑に落ちませんでした。白人は知らず知らずのうちに人種差別をしているという風に描いたほうがよかったと思います。さらに不満な点をあげるなら、2つの場面を並行して見せていくところがギクシャクしていたのが残念です。たとえば、ファイファーがウォーケンに色仕掛けでせまるのと、クイーン・ラティファのレコード店でパーティーが開かれているのを交互に見せるあたりです。
ペニーの母親役のアリソン・ジャニーは「アメリカン・ビューティー」(1999年)のときと役どころが似ていました。実力のある人なのでタイプキャストはもったいないです。そう言えば、ブロードウェイでトレイシーを演じてトニー賞を得たマリッサ・ジャネット・ウィノカーも、「アメリカン・ビューティー」に出演していました。ケビン・スペイシーが勤めるハンバーガー・ショップの同僚の役で、浮気がばれたアネット・ベニングとピーター・ギャラガーに向かって"You're so busted!"(「しくじったわね」)と言い放つところを覚えている方がいるかもしれません。
主演デビューを飾ったニッキー・ブロンスキー以外の若い出演者では、シーウィード役のイライジャ・ケリーが注目株だと思います。彼のように歌とダンスの才能がある俳優が活躍できるよう、これからもミュージカル映画が作られ続けてほしいです。
ポーリン・ケイルの本は、3冊の映画評論集の前に「スキャンダルの祝祭」というのが新書館から出ています。これは「市民ケーン」(1941年)を論じた文章で、脚本のハーマン・J・マンキウィッツの功績がオーソン・ウェルズのそれより大きいという論調だったので、物議をかもしました。4冊の翻訳書がぜんぶ違う出版社から出ているのは、日本で彼女の人気が定着していないせいかもしれません。
彼女の未訳の批評をもっと読みたいと思い、原書を買ってみました。それが表題の2冊です。
"For Keeps"は、「ニューヨーカー」の連載をまとめた10冊の映画評論集から抜粋したものと、「スキャンダルの祝祭」の原作"Raising Kane"をまるごと収録した、1200ページ以上もある大冊です。たとえば、「今夜も映画で眠れない」の原書"Hooked"からは、前回引用した「心みだれて」と「ヘアスプレー」は割愛されていますが、訳書で割愛されていた「戦場の小さな天使たち」やマギー・スミス主演の日本未公開作"The Lonely Passion of Judith Hearne"などの批評が読めます。「カオス・シチリア物語」や「サムシング・ワイルド」のように、訳書にもなかったし、ここでも一部抜粋されているだけで、全文を読むには"Hooked"に当たらなくてはならないという例もあります。
"5001 Nights at the Movies"は、「ニューヨーカー」の"Goings On About Town"というセクションのために書かれたものと、長文の批評を圧縮したもの、合わせて3000本近い映画についての短い文章を、題名のアルファベット順に並べて事典の体裁にしてある本で、こちらも800ページを超える分厚さです。"Goings On About Town"は、映画館でリバイバルされたり、いろいろな催しで特集上映される映画の紹介ページらしく、その性質上、ケイルが「ニューヨーカー」で連載を始める前の古い作品に関する文章が多くなっています。結果として、"For Keeps"に含まれていないサイレントやトーキー初期の名作の批評を読めるのが、本書の良い点だと思います。この本の「心みだれて」と「ヘアスプレー」の項目と、日本語訳の長文とを比較してみたら、エッセンスがうまく取り出されているのが分かりました。項目の最後にキャストと主なスタッフが列挙され、モノクロかカラーかも注記されていて、事典としても使えますが、上映時間の記載がないのが玉に瑕です。
というわけで、ケイルの作品評の鋭さを確かめるには"For Keeps"がおすすめですし、彼女の文章のぴりっとした味わいを楽しみたいなら"5001 Nights"がおすすめです。そのどちらでもなく、ある特定の年代の作品を彼女がどう評価しているか知りたければ、10冊の評論集のうち、該当する1冊を購入するといいんじゃないでしょうか。
わたしは、いつかどこかの出版社から10冊の評論集の全訳が出版されるのを期待しています。その日を待ちながら、この分厚い2冊を手の届くところに置いて、ときどき参照していくつもりです。
前回と同じ東京書籍の「アメリカ・コラムニスト全集」から、ポーリン・ケイルの映画批評を訳出した「今夜も映画で眠れない」を久々に押入れから取り出してきて、パラパラめくってみました。
この本には、雑誌「ニューヨーカー」に1985年末から88年半ばまで連載された批評が載っています。原著"Hooked"には150近い作品(映画関連書を含む)の批評が載っているらしいのに、翻訳版は70作品だから半分以下です。上下2巻に分けるなどして全訳してほしかったですが、出版社としては全集の中の一冊としてバランスを考慮したのかもしれません。
それでも、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に始まり「マイ・ビューティフル・ランドレット」「ドリーム・チャイルド」に終わるラインナップは、わたしがもっとも頻繁に映画館通いしていた時期と重なるので、読み返すのが楽しかったです。
ポーリン・ケイルの文章は、饒舌さが第一の特徴だと思います。ノラ・エフロンの文章と比べると読みにくいです。たとえば、エフロン原作、マイク・ニコルズ監督の「心みだれて」の批評から引用しますと、「彼女の自己憐憫を覆うユーモアと恥ずかしげのない意地悪の仮面があまりに薄っぺらなので、この著者は自分の人生を売りものにしているんだ--有名人の結婚生活を描いた汁気たっぷりでスピード感のある四コマ漫画として呈示することで、自分の人生をゴミ扱いしているんだ--と、あなたは感じる」という具合に、センテンスが長い上に「--」を使って別の語句をしょっちゅう挿入しています。
また、ケイルにはひいきの俳優や監督(ベット・ミドラーやジョセフ・ルーベン)に甘かったり、お行儀のよい名作をけちょんけちょんにけなしたりする傾向があります。彼女が「サウンド・オブ・ミュージック」を酷評したことがきっかけで主婦向け雑誌をクビになったエピソードをご存知の人も多いでしょう。だから、自分の好きな映画をけなされているのを読みたくない人には、ケイルの映画批評はおすすめできません。しかし、酷評でも絶賛でも、彼女の使う比喩がぴったりはまっているのが分かったときの楽しさは無類です。映画ファンにしか感じられない読書の喜びだと思います。
ケイルの文章を読んで楽しむには、対象となっている映画を見ておいたほうが良いですが、見てなくても構いません。たとえば、わたしはジョン・ウォーターズ監督の映画は数本しか見ておらず、現在ミュージカル版リメイクが公開中の「ヘアスプレー」(1988年)も見ていません。それでも、本書に収録されている「ヘアスプレー」評で、「ディヴァイン扮するエドナ・ターンブラッドがお気に入りのノースリーヴのドレスを着てスクリーンに現れると、映画はW・C・フィールズが女装したような狂気をはらむ」と書かれているのを読んで笑いましたし、ジョン・トラボルタが女装するリメイクも狂気をはらんでいるかどうか確認したくなりました。
ケイルの映画評論集は、本書以前に晶文社から「映画辛口案内」、本書以後に「明かりが消えて映画がはじまる」が草思社から出ています。「映画辛口案内」は80年代前半、「明かりが・・・」は70年代後半の映画が対象です。
コラムニストのアート・バックウォルドといえば、彼の提出したシノプシスを盗用して「星の王子ニューヨークへ行く」(1988年)を作ったとして、パラマウント社を訴えたことがありました。アメリカ映画のパンフレットを買って脚本家の経歴を読んでみると、元弁護士や地方検事という人さえ珍しくないので、政治風刺コラムを書いていたバックウォルドが映画製作にかかわっていても不思議ではありませんが、コラムニスト出身で現在もっとも映画とかかわりが深いのはノラ・エフロンでしょう。
わたしが最初にノラ・エフロンの名前を知ったのは「心みだれて」(1986年)の原作者としてでした。彼女が2度目の夫であるカール・バーンスタインとの結婚・離婚の顛末をユーモア小説に仕立てたもので、「ハートバーン」のタイトルで映画の公開に合わせるように河出書房新社から翻訳が出ました。「ママのミンクは、もういらない」は、エフロンが「ディス・イズ・マイ・ライフ」で映画監督デビューした1992年に日本語版が出ましたが、書かれたのは「ハートバーン」よりずっと前で、1972年から77年にかけて雑誌「エスクァイア」に発表されたコラムが収録されています。バーンスタインと結婚していた時期の文章は少なくて、ジャーナリズムや政治の話題は出てきますが、ウォーターゲート事件についての記述はざっと読み返したところ見当たりませんでした。
エフロンの文章は、育ちの良さがにじみ出ているのに、それが嫌味な感じにならないのが特徴だと思います。「恋人たちの予感」(1989年)の脚本を書いた人にふさわしい、あけすけな描写がところどころにはさまれていますが、下品にならないのも流石です。絶妙なバランス感覚の持ち主なのでしょう。
久しぶりに読み直してみて、特に面白かったのは「懲りない女」という文章でした。これはパット・ラウドという女性の告白本の書評なのですが、彼女は"An American Family"(1973年)というPBSのドキュメンタリー番組で取材対象となった一家の主婦でした。今でこそリアリティ・ショーは多いですが、"An American Family"はその走りで、映画でいえば「トゥルーマン・ショー」や「エドtv」のように市井の人の日常を24時間カメラで追うというシリーズものでした。パット・ラウドはシリーズの途中で離婚を決意し、シリーズが終わってからもトーク番組に出演したり、告白本を書いたりして名声を続かせようとしました。エフロンは、プライバシーを売り渡したラウドを辛らつな表現で批判しています。エフロンも後に離婚の顛末を本に書くわけですが、フィクション仕立てにしているところが違うわけです。
ほかのコラムも、話題はドロシー・パーカーから自己発見グループまで多岐にわたっていますが、文章のうまさは共通しています。新鮮さが命のコラムなのに書かれて約20年後に訳され、その10年後に読み返しても面白いというのは、文章がいいからだと思います。
ところで、この本は東京書籍の「アメリカ・コラムニスト全集」というシリーズの一冊です。このシリーズには、映画にかかわりのある人のコラムが多いです。エフロン、ジョーン・ディディオン、ポーリン・ケイルのほか、「ライトスタッフ」(1983年)の原作者トム・ウルフ、「母の眠り」(1998年)の原作者アンナ・クィンドレン、「ラスベガスをやっつけろ」(1998年)の原作者ハンター・トンプソンの巻もあります。ギャリソン・キーラーの「レイク・ウォビゴンの人々」も同シリーズに含まれていて、ロバート・アルトマンの遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(2006年)のモデルになったのと同じラジオ番組から誕生した本のようです。
"Frost/Nixon"のインタビュー番組が1977年に日本でも放送されたかどうか知りませんが、番組の映像はいろいろなところで引用されているのを見た記憶があります。
ニクソンが亡くなった94年にNHK教育で放送した「ウォーターゲート事件の真実」でも、デビッド・フロストの質問に答えるニクソンの映像がふんだんに使われていました。これはイギリスBBC制作の5回シリーズの日本語版です。第1回「侵入」、第2回「もみ消し工作」、第3回「裏切り」、第4回「死闘」、第5回「弾劾」という副題が示すように、事件の発生から順を追って話が進み、ニクソンの辞任で終わります。
わたしは、これを見るまで、映画「大統領の陰謀」(1976年)を何度か見て、新聞記者カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードの視点からウォーターゲート事件のあらましを眺めていましたが、順番を逆にすればよかったと後悔しました。先にこのドキュメンタリーで客観的に全体を眺めておいて、その後で「大統領の陰謀」を見るのが正しい順番でしょう。ちなみに、「ウォーターゲート事件の真実」にはウッドワードとバーンスタインはほとんど出てきませんが、代わりにヒラリー・ロダム・クリントンがちらっと登場します。
このドキュメンタリーは、おおぜいの証言や当時の報道の映像を小出しにしながら、複雑な事件の概要と背景を分からせてくれる秀作です。しかし、映像としての魅力は、タイトルバックでゆっくりと回るテープレコーダーのリールに代表されるように、昔の通信・録音機器のずっしりした重量感が伝わってくることだと思います。中盤、ホワイトハウスでの会話を録音したテープを誰がどうやって消したかが問題になってくるので、録音機器類は登場人物と呼べるくらい重要です。「大統領の陰謀」や「カンバセーション・盗聴」など70年代の映画を今見ると、そうした魅力がありますし、「ミュンヘン」(2005年)は同じ感触を再現しようと努力していました。「善き人のためのソナタ」(2006年)は80年代の話ですが、似た手ざわりが残っていました。
デビッド・フロストのインタビューについては、ジェームズ・レストン・ジュニアという人が分厚い本を書いています。"Frost/Nixon"の映画では、サム・ロックウェルがレストンを演じるのだそうです。
わたしは、ふだん歴史書は読まず、もっと軽い本ばかり読んでいます。このインタビューについて書かれた文章を読んで爆笑したことを思い出しました。アート・バックウォルドというコラムニストが書いたもので、文藝春秋から出ていた<バックウォルド傑作選>の第3巻「嘘だといってよ、ビリー」に収録されている「ニクソンショー・パートI」です。バックウォルドの親戚一同が珍しくテレビの前に集まってフロストの番組を見ているという設定のユーモア・エッセイで、親戚のおじさんに「60万ドルももらってテレビに出て、そのうえなお嘘をつく人間がいるとは思えない」などと言わせています。親戚のおばさんには「いったいなんの権利があって、イギリス人がアメリカの口出し料についてニクソンに質問などするのかしら?」と言わせています。
そうなのです。ウォーターゲート事件はアメリカ大統領の犯罪なのに、フロストのインタビューも「ウォーターゲート事件の真実」も、イギリスで作られた番組なのが特徴です。自国の事件でないからこそ客観的になれて、公平な番組作りができるという意味ではいいことかもしれませんが、アメリカ人の中には歯ぎしりして悔しがっている人もいるでしょう。
イギリス人の書いた戯曲をアメリカ人が映画化する"Frost/Nixon"はさらに複雑で、当時のことを覚えているはずのロン・ハワード監督は、アメリカ人がどういう思いでインタビュー番組を見たかという視点を映画の中に盛り込んでくれるのではないかと期待しています。
ピーター・モーガンは、今年のアカデミー賞で主演男・女優賞を獲得した「ラスト・キング・オブ・スコットランド」と「クィーン」の両作品に脚本家としてクレジットされています。「クィーン」はオリジナル脚本で、「ラスト・キング・オブ・スコットランド」には原作小説があり、しかもジェレミー・ブロックとの共同脚色であるという違いはありますが、アカデミー賞の歴史でも珍しいことだと思います。
離れ業的な記録を作ったモーガンに注目が集まって売れっ子になるのは当然のことでしょう。しかも、タイミングよく彼は劇作家デビューを飾っていて、その舞台"Frost/Nixon"でニクソン元大統領を演じたフランク・ランジェラがトニー賞の主演男優賞に輝きました。となれば、この戯曲に映画化の話が出るのも不思議ではありません。しかも珍しいことに、現在製作中の映画が舞台と同じフランク・ランジェラとマイケル・シーンの主演で撮影されていると聞いて、わたしはこの映画に注目しています。
舞台劇の映画化は今も昔も多いですが、同じ俳優が舞台と映画で同じ役を演じる例は少なくなっていると思います。評判の舞台というのは、チケットをなかなか買えない状態のことが多いので、舞台を見たくても見られなかった人のためにも、映画化の際はオリジナルのキャストを最優先に考慮してほしいです。映像には、フィクションの映画・テレビドラマであっても、俳優の演技を記録にとどめる<ドキュメンタリー>の役割があります。舞台しか経験がなくて、映像向けに演技の微調整ができない俳優なら映画化に当たって変えられても仕方ないでしょうが、現在はそういう人は少ないと思います。
"Frost/Nixon"は、ウォーターゲート事件で辞任した後のニクソンが、初めて応じたTVのインタビュー番組の舞台裏を描くものだそうです。インタビュアーのデビッド・フロスト(マイケル・シーン)は、イギリスですでに有名な存在でしたが、硬派路線で知られていたわけではなかったらしく、番組が成立した裏には、フロスト側にもニクソン側にも思惑・事情・計算があったでしょう。「クイーン」におけるエリザベス女王のスピーチもそうでしたが、このインタビュー番組も相当な数の人が見て記憶に残っているものなので、映画(舞台も)は結末の意外性でひっぱるわけにはいきません。結末は多くの人が知っているのですから。
映画はロン・ハワード監督が手がけています。彼の作品歴をざっと見ると、舞台劇の映画化は見当たりませんし、前作「ダヴィンチ・コード」とはまったく作風が違うものになると思われます。しかし、彼には「アポロ13」(1995年)があります。あれもやはり、誰もが結末を知っている有名な出来事を再現しながら、サスペンスたっぷりの仕上がりでした。また、脇役の顔ぶれも興味深いです。ケビン・ベーコン、サム・ロックウェル、オリバー・プラット、トビー・ジョーンズらが番組周辺の実在の人物を演じるほか、パット・ニクソン役でパティ・マコーマックが出るのだとか。あの「悪い種子」(1956年)の名子役が、やはり名子役出身のハワード監督(「ザ・ミュージックマン」「けっさくなエディ」)の演出で、どんな演技を見せてくれるのか、今から気になります。
これまでの3作は、公共放送PBSチャンネルで放送されたもののDVD化です。ボックス・セットには、3枚のほかにオマケが1枚入っていて、それが"The Best of Tony Awards: The Plays"です。これはDVDオリジナルで、放送されてはいないようです。
タイトルが示す通り、オマケにはストレートプレイの一場面をトニー賞授賞式中に再現したときの映像が並んでいます。授賞式において、ミュージカルにくらべてストレートプレイはないがしろにされています。ストレートプレイについてはプレゼンターからの簡単な内容紹介さえない場合もあります。
とはいえ、ミュージカルの一場面はいろんなショーで再現されることがありますが、ストレートプレイの再現はまれなので、たとえ数分ずつであっても、ここに収録された映像は珍重すべきものです。
内容を紹介しますと、冒頭はハワード・サックラー作「ボクサー」の一場面で、主演のジェームズ・アール・ジョーンズ、ジェーン・アレクサンダーだけでなく脇役も登場して、ちょっと長めの7分ほどが演じられます。この作品はマーティン・リット監督が映画化していて、以前から見たかったのですが、DVDなどが出てないため、一部分であれここで見られてよかったです。
日本でも翻訳上演されてなじみのある戯曲としては、「カッコーの巣の上を(で)」「M・バタフライ」「レティスとラベッジ」「ハイジ・クロニクル」「レンド・ミー・ア・テナー」の一場面が見られます。ことにピーター・シェーファー作「レティスとラベッジ」のマギー・スミスとマーガレット・タイザックの掛け合いは必見です。わたしは黒柳徹子と高畑淳子が演じたときに見ましたが、ここで抜粋されている場面で場内大爆笑だったのを覚えています。
おそらく日本で上演されてないものでは、アネット・ベニングが砂浜に埋められた状態で熱演する"Coastal Disturbances"、ブライアン・フリール作"Lovers"から「ハリーとトント」のアート・カーニーがアイルランドの名女優アンナ・マナハンと長椅子でいちゃつく珍場面、デビッド・マメット作"Speed-the-Plow"(マドンナが出演した話題作)からジョー・マンテーニャとロン・シルバーのいわゆるマメット・スピークによる掛け合いが収録されています。
他に、日本で上演されることの少ない、つい先日亡くなった黒人劇作家オーガスト・ウィルソンの作品から4作品も収録されているのが目立ちます。ヴィオラ・デイビス、デルロイ・リンドなど映画でもおなじみの黒人俳優のテンションの高い芝居が見られます。
最後には、独白が3つ収められています。ケビン・クラインが「ハムレット」、レン・キャリウーがユージン・オニール作「夜への長い旅路」、モーガン・フリーマンが「お気にめすまま」から抜き出された独白を披露します。
独白もいいのですが、数分間の短い場面でもぐっと引き込まれるのは、2人の俳優の掛け合いだと思います。舞台であれ、映画・テレビドラマであれ、2人の登場人物がお互いの腹を探り合いながら会話を続けるというのは、ドラマの基本ですし、俳優の実力の見せどころでしょう。
このDVDに含まれているリー・ブレッシング作"A Walk in the Woods"は、1982年にジュネーブで行われた米ソの戦略兵器削減交渉の際、米ソそれぞれの代表が会議を離れて森を散歩しているときに出会ったという設定の会話劇だそうです。
サム・ウォーターストンとロバート・プロスキーの扮する政治家がベンチに腰掛けてジョークを交えた対話をしているのを見て、「クィーン」(2006年)におけるエリザベス女王(ヘレン・ミレン)とブレア首相(マイケル・シーン)のやりとりを連想しました。
「クィーン」は、センセーショナルになりがちな題材を扱いながら、脚本・演出・演技はきわめてオーソドックスな映画でした。特に、最初と最後にヘレン・ミレンとマイケル・シーンの対話の場面を用意して、それぞれの台詞にしっかり含みを持たせ、表面的な言葉のやりとりだけでないものを感じさせてくれたのが秀逸でした。脚本を書いたピーター・モーガンの台詞と構成が優れていたからでしょう。「クィーン」は、すぐにでも舞台にかけられる脚本だと思います。ミレンとシーンが映画と同じ役を生の舞台で演じれば、話題性もありますし、ヒットするんじゃないでしょうか。マギー・スミス、ジュディ・デンチ、ダイアナ・リグなどのエリザベス女王、ケネス・ブラナ、レイフ・ファインズ、コリン・ファースなどのブレア首相も見てみたい気がします。




















