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「フォービドゥン・ブロードウェイ」の作者ジェラード・アレッサンドリーニが、パロディの対象をブロードウェイのショーからハリウッド映画に変えて作った、シリーズ番外編のような性格のショーです。これも来日公演があったので見に行きました。替え歌を中心とするスケッチが続く構成や、出演者が男女2名ずつ、ピアノ1台の伴奏といった点は、「フォービドゥン・ブロードウェイ」とまったく同じです。

「フォービドゥン・ハリウッド」は1995年に上演されたので、94~95年に公開された映画が槍玉にあげられているケースが多いですが、旧作のパロディも含まれています。替え歌の歌詞が辛らつで容赦がないのはここでも一貫しています。

オリジナル・キャスト盤のCDから曲をいくつか紹介してみます。

・「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年)

"Life Is Just a Bowl of Cherries"の替え歌で

ガンプに扮した男優がベンチに座っていると一枚の羽根が飛んできます。彼は羽根を指差して、「これ、何の意味があるの?」と言い、「人生はチョコレートの箱のようなもの」なんてバカバカしいクリシェ(決まり文句)だ、と歌います。

・「アラジン」(1992年)

"A Whole New World"の替え歌"A Disney World"

アラジンとジャスミンに扮した2人が、ディズニーのキャラクターは世界中に行き渡り、今や全世界がディズニーの支配下に置かれている、と歌います。

・ドリームワークスの三つ子

映画「バンド・ワゴン」(1953年)の"Triplets"の替え歌で

スティーブン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグ、デビッド・ゲフィンに扮した3人が赤ちゃんの格好で登場します。そして、ぼくたちいっしょに会社を作ったけど仲が悪いんだ、残りの2人を撃ち殺して1人になれたらせいせいするのに、と歌います。

・サマー・ムービーズ

まず、メリル・ストリープに扮した女優が登場し、「マディソン郡の橋」(1995年)のストーリーを語りはじめますが、なぜか「愛と哀しみの果て」(1985年)のときのデンマーク訛りで、わたしはアフリカに農場を持っていたと言ってしまってから、アイオワと言い直します。そこにバットマンに扮した男優が登場し、夏の間は年寄りがキスする映画なんかおよびじゃないんだと、メリル・ストリープを追い払います。ここからは「グリース」の中の"Summer Nights"の替え歌で、サマーシーズンの映画は、突き詰めればセックスと暴力、メル・ギブソンの尻と車の爆発だと歌います。

・「マイ・フェア・レディ」(1964年)

"Show Me"の替え歌で"Dub Me"

オードリー・ヘップバーンに扮した女優が登場し、わたしは首が細すぎて声が出ない、だからマーニ・ニクソンを雇って歌を吹き替えにしてちょうだいと歌います。当時、オードリー・ヘップバーンが歌った数曲の録音が保存されていたのが見つかったので、そのニュースを反映させた替え歌でしょう。彼女の音のはずれた歌いぶりを誇張して演じており、わたしは大笑いしましたが、オードリー・ヘップバーンのファンは気を悪くするかもしれません。

「フォービドゥン・ブロードウェイ」のオリジナル・キャスト盤はスタジオ録音ですが、「フォービドゥン・ハリウッド」のそれはライブ録音で、観客の歓声や笑い声も収録されています。観客の反応は上々で、的を射た批評に賛同の拍手を贈っています。たとえば、「アラジン」の替え歌は、ディズニーに魂を抜かれたわたしたちはプラスティックのゴミみたい、ちょうどディズニーのキャラクター人形のように、というブラックな歌詞で終わるのですが、これも大受けです。来日公演のときの周囲の反応は、これほど良くなかったように覚えています。CDを聞きなおしてみて、ジョークの好みがアメリカと日本でかなり違うことを改めて感じました。

"Forbidden Broadway Strikes Back!"

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"On Broadway, Men Still Wear Hats"で紹介されているジョージ・フェンモアは、現在のブロードウェイよりも、「ガイズ&ドールズ」の原作などでデイモン・ラニアンが描き出した時代のブロードウェイにふさわしい人物という気がします。彼は、舞台上で使われる小道具を調達するだけでなく、ロビーで販売されるプログラム、Tシャツなどの記念品も手がけているそうです。これも<マーチャンダイジング>の一環なのだとしたら、彼の同業者はたくさんいます。ミュージカル「キャッツ」や「レ・ミゼラブル」のイギリス人プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュはその代表でしょう。

キャメロン・マッキントッシュのマーチャンダイジング手法をからかった"My Souvenir Things"という曲があります。「サウンド・オブ・ミュージック」の中の"My Favorite Things"(邦題・私のお気に入り)の替え歌になっていて、「フォービドゥン・ブロードウェイ」のために書かれた曲です。<禁断のブロードウェイ>と名乗るこのショーは何度も来日していますから、ご存知の方も多いと思いますが、ジェラード・アレッサンドリーニという人の発案によるものです。ブロードウェイのショーやスターを笑いのめしたパロディー満載のスケッチが20以上、男女2人ずつの出演者によって次々に演じられます。わたしは1994、5年ごろに来日公演を2回見ました。伴奏はピアノ1台のみですが、出演者の歌の実力は一流で、替え歌の詞もよく出来ていたし、簡潔な日本語字幕が付いていて、大いに笑わせてもらった記憶があります。

"My Souvenir Things"は2回とも演じられて、とても受けていました。日本のミュージカル上演にも当てはまる内容だからでしょう。このスケッチの出演者は男性1人のみで、「オペラ座の怪人」の怪人のマント姿で登場します。わたしはキャメロン・マッキントッシュ、ブロードウェイのナポレオンだと名乗り、イギリスから来た、見た、勝ったと宣言します。しかし、わたしの何よりの成功はみやげ物の販売だ、と歌った彼が両手を水平に広げると、怪人のマントの内側が観客に見えます。そこには、キーホルダーやマグカップ、CD、トランプ、「キャッツ」の扮装用の付け髭などが所せましと貼り付けてあるのです。そして、「私のお気に入り」のメロディーにのせ、おみやげの数々を並べて歌っていきます。替え歌の最後はこうです。「ショーを見るまでに100ドルの出費、劇場を出るまでにさらに100ドルかかる」。子どもにねだられてTシャツやマグカップを買う親たちの姿が目に浮かぶようです。

「フォービドゥン・ブロードウェイ」は1982年から上演されており、その時々のショーや話題を盛り込んだ新しいスケッチを付け加え、大スターの物まねを中心とする定番のネタと組み合わせて、常にアップデートしながら続いているそうです。来日バージョンは日本でも通じそうなものを選んでいて、そのラインナップを反映したCDが発売されました。残念なことに、"My Souvenir Things"はそのCDに入っていないようです。わたしが持っているのは、このシリーズのオリジナル・キャスト盤のvol.1からvol.4までを収録した輸入版CDボックスです。"My Souvenir Things"はvol.4の"Forbidden Broadway Strikes Back!"の3曲目です。同CDに入っている、ルー・ダイアモンド・フィリップスとドナ・マーフィが出演した「王様と私」再演のパロディーなどは、来日公演で見た記憶があります。

CDボックスに付いている歌詞カードを読んで、ジェラード・アレッサンドリーニのユーモアがひじょうに辛らつだということに改めて気づきました。"My Souvenir Things"は、まだマイルドなほうです。"Forbidden Broadway Strikes Back!"の中から例をあげるなら、「レント」のメディア露出戦略を揶揄した"Season of Hype"、トム・ハンクス主演映画「ビッグ」(1988年)のミュージカル版をバッサリ斬り捨てる"Big"など、両作品のプロデューサーからクレームが来ないのかと心配になります。演劇でも映画でも、自分の支持する作品やスターに関する否定的意見を受け付けない人が時々いますが、そういう人には薦められないショーです。

ショーとして完成度が高いだけでなく、真面目な評論よりも核心を突いてくれる"Forbidden Broadway"は、revueとreviewの混合物とでも呼べそうな、ほかに例のないエンターテインメントだと思います。替え歌で運ばれていくショーなので、表現は省略が多く、ある程度の予備知識が必要です。たとえば、"My Souvenir Things"のすぐあとに続く"Zip"は、「パル・ジョーイ」(映画化名・夜の豹)のナンバーの替え歌で、イレイン・ストリッチを俎上に載せており、彼女の物まねで歌われます。ウディ・アレン映画を通じて彼女に見覚えのある人もいるでしょうが、彼女がアルコールの問題を抱えていたこと、「パル・ジョーイ」のほか、スティーブン・ソンドハイム作詞・作曲の「カンパニー」にも出演したことをおさえておいたほうが笑える歌詞になっています。冒頭、"Does anybody still wear a hat?"と歌っていますが、これは「カンパニー」の中の"Ladies Who Lunch"からの引用で、ストリッチ独特の声と歌い方でトレードマークのようになっている一節なのだそうです。

"On Broadway Men Still Wear Hats"

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「ビル・ポーターの鞄」(2002年)のウィリアム・H・メイシーは、セールスの仕事で歩き回るとき、サンプルのカバンを提げているだけでなく、常に帽子をかぶっていました。フェドーラと呼ばれるタイプの帽子で、1940年代、50年代の映画を見ると、新聞記者も刑事も旅のセールスマンも、誰もがかぶっています。メイシーが「サイコ」のリメイクで私立探偵を演じたときのメイキング・フィルムには、彼がフェドーラをとっかえひっかえしながら選んでいる場面があります。メイシーはその中で、オリジナルで私立探偵を演じたマーティン・バルサムへの尊敬の念を口にしていました。

男性が帽子をかぶる流行がなかなか戻ってこない理由について、男性も髪型に凝るようになり、カット代、スプレー代、ムース代など大金をかけたヘアスタイルを世間に見せびらかしたいからだという発言を読んで、なるほどと思いました。その発言の主は、ニューヨーク8番街で帽子店を営むマーク・ルービンです。ブロードウェイで上演されているショーのほとんどが、ルービンの店で売られている帽子を採用しています。主役のスターのかぶる帽子はデザイナーが手づくりしますが、コーラスの人たちの分まで手づくりしていたら予算をオーバーしてしまいます。映画でフレッド・アステアがかぶっているような、トップの部分がたためるトップハットを、日常生活で身に着ける人は今はいませんし、製造しているメーカーも全米で1社しかなく、それをコーラスの人数分常備してある帽子店となると1軒しかないのだそうです。

"On Broadway, Men Still Wear Hats"(Smith and Kraus刊、2004年)という本は、無名だけれどブロードウェイのショービジネスに欠かせないルービンのような人たちの横顔を紹介した本です。副題は"Unusual Lives Led on the Edges of Broadway"といい、ブロードウェイの端っこに生息する奇妙な人たち、といった意味だと思います。著者のロバート・サイモンソンはplaybill.comの編集者で、劇作家でもあります。

表題になっている章は、ルービンの仕事ぶりを紹介したあと、散髪に9ドルしかかけない彼は今も年中帽子をかぶっていると締めくくられます。ほかの章にも、ふだんはスポットライトを浴びない人たちがいろいろ出てきます。"The Accidental Photographer"という章では劇場で有名人のスナップショットを撮っては新聞社に売っているオーブリー・ルーベン、"The Man With the Emergency Bow Ties"ではネイサン・レインなどのドレッサー(付き人)をつとめてきたケネス・ブラウン、"An Accountant on the Aisle"では会計士をやめてインターネットで劇評を発表しはじめたマーティン・デイトンを取り上げています。もちろん女性もいて、<ドラマ・ブック・ショップ>のロザンヌ・シーレン、ツアーに出ているショーのセットを運ぶ運送会社のノーマ・モリッチ・デュールなどの章があります。ショービジネスと長くかかわってきた人たちがとっておきの逸話を披露しているので、ゴシップ本としても楽しめますが、マイナーな分野ではあっても、ショービジネスのプロたちから頼りにされていることの誇らしさが全員の発言から伝わってきて、とても読後感がよかったです。

マーク・ルービンの帽子店が、親の代には数軒あったのを次々にたたんで、1軒だけが残っていることに象徴されるように、家族経営がほとんどの演劇関係ビジネスは、縮小される一方のようです。その典型が"The Primary Distributor of Rosebud Matches to Broadway"の章に出てくるジョージ・フェンモアでしょう。彼の仕事は、舞台で小道具として使われる商品のメーカーと交渉し、企業名をプレイビル(劇場で配られる無料パンフレット)に載せることと引き換えに、商品を無料で手配することです。これは、ハリウッド映画では<プロダクト・プレースメント>として現在も大規模に行われている広告手法ですが、劇場の観客数は限られるので企業はうまみを感じないため、どんどん協力が得られなくなっているそうです。フェンモアは<プロダクト・プレースメント>という新しい言い方を嫌い、自分の仕事は<マーチャンダイジング>だと主張します。<マーチャンダイジング>を行っているのはフェンモア1人で、後継者はいません。

「ビル・ポーターの鞄」で、ウィリアム・H・メイシーは何度か自分を恐竜に例えますが、訪問販売は現在も細々と続いています。ジョージ・フェンモアの<マーチャンダイジング>こそ絶滅に瀕していると言えます。彼が亡くなってしまったら、数々のコネを利用して彼が手配していた小道具を集めるのに、劇場関係者たちはかなり苦労するだろうと思います。

「ビル・ポーターの鞄」

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セールスマンは、映画や芝居によく登場する職業です。「女と男」(1990年)の中の「ブルックス・ブラザースのシャツを着た男」でボー・ブリッジスが演じたり、ウィリアム・ワイラー監督の「黄昏」(1952年)でエディ・アルバートが演じたのは、列車で旅に出ているとき、ヒロインと出会うセールスマンの役でした。「皇帝円舞曲」(1948年)のビング・クロスビーは蓄音機、「男はつらいよ 寅次郎春の夢」(1979年)のハーブ・エデルマンはサプリメント、「ペニーズ・フロム・ヘブン」(1981年)のスティーブ・マーティンは楽譜、「大災難PTA」(1987年)のジョン・キャンディはシャワーカーテンのリングを、旅をしながら売っていました。「ザ・ミュージックマン」(1962年)のロバート・プレストンや「ペーパー・ムーン」(1973年)のライアン・オニールのように、旅のセールスマンのふりをして、実は詐欺師という設定もありましたし、「裏窓」(1954年)のレイモンド・バーのような犯罪者もいました。

セールスマンというだけで、アメリカ人には具体的なイメージがわくのか、主役であれ脇役であれ、セールスマンの仕事が丁寧に描写されることは少ないように思います。演劇の場合は特にそうで、アーサー・ミラー作「セールスマンの死」のウィリー・ローマンは、何を売っているのかが最後まで明らかにされないため、抽象的な印象があります。テネシー・ウィリアムズ作「ガラスの動物園」のアマンダは、電話で雑誌購読のセールスをしていますが、家族を支えられるだけの収入になるのか怪しいです。デビッド・マメット作「グレンギャリー・グレン・ロス」に出てくる不動産セールスマンたちの会話も、現実味は乏しいと思います。

わたしが見た範囲内で、セールスマンの日常がもっとも詳しく描かれていたのは「ビル・ポーターの鞄」(2002年)というTVムービーです。脳性マヒで体に障害があるのにセールスマンとして成功した人物の実話もので、「ファーゴ」(1996年)などのウィリアム・H・メイシーがビル・ポーター役です。母親(ヘレン・ミレン)の励ましで、ビルがワトキンズ社に自分を売り込むことに成功した日(1955年10月)からはじまり、最初の顧客(キャシー・ベイカー)を獲得するまでの苦労や、その後のお得意さんたちとの交流が描かれていくのですが、その合間に、大きなカバンを携えて足をひきずりながら歩くビルの姿がくり返し出てきて、1日に何マイルも移動する、体力を要する仕事ぶりが伝わってきます。イラストやサンプルを見せて注文をとり、あとで品物を配達するところまでがセールスマンの役目です。ビル・ポーターは車の運転ができないので、バスと歩きで移動し、配達もこなします。1970年、脊椎を痛めたビルは、配達を助手に任せることにします。助手として雇われたシェリー(キラ・セジウィック)と二人三脚で働く場面が続きますが、現在に近づいてくるにつれ、セールスの仕事も変化します。変化にともない、戸別訪問というセールスの手法が時代遅れになっていくのも見てとれました。

モデルとなったビル・ポーター氏は、70歳を過ぎた今もワトキンズ社のオンラインショップでセールスの仕事を続けています。サイトで彼の写真を見ると、ウィリアム・H・メイシーがメイクアップで顔を似せることに成功しているのがわかります。この作品は、40年近い時間の経過を描いていますが、衣装や小道具で時代の移り変わりをきちんと見せていました。劇場用映画に比べて低予算のTVムービーでも、そういうところをおろそかにしていないのが立派です。また、基本はシリアスですが、ビルが旅のセールスマンにまつわるダーティー・ジョークを披露する場面があって、笑いの要素も忘れていません。エミー賞で、作品、監督(スティーブン・シャクター)、主演男優、脚本(メイシーとシャクターの共同)など6部門の賞を獲得しています。

「女と男」「女と男2」

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"Chillers"(1990年)はパトリシア・ハイスミス(アメリカ、テキサス州生まれ)の短編ばかりをヨーロッパ中心のスタッフ、キャストで映像化していて、彼女のヨーロッパでの人気のほどをうかがわせます。同年、アメリカのケーブルテレビ局HBOが企画した"Women and Men"は、アメリカ人作家3人による3つの短編を、英米中心のスタッフ、キャストで映像化したもので、翌年、同じ趣向の続編が作られました。わたしが見たのはNHK BS-2が放送した吹き替え版で、「女と男」、「女と男2」というタイトルでした。字幕版はVHSが発売されており、それぞれ「ラブ・アフェアー」、「男が女を愛する時」という邦題がついています。日本版DVDは出ていないようです。

各編の内容は次の通りです。

「女と男」(原題:Women and Men: Stories of Seduction、1990年)

第1話 ブルックス・ブラザースのシャツを着た男

長編小説「グループ」(シドニー・ルメット監督が映画化)で知られるメアリー・マッカーシーの短編が原作です。監督・脚色は「いつも2人で」(1967年)、「アイズ・ワイド・シャット」(1999年)などの脚本家フレデリック・ラファエル。妻子持ちの旅のセールスマン(ボー・ブリッジス)と左翼思想に傾倒する女性ジャーナリスト(エリザベス・マクガバン)という、まったく共通点のない2人が列車で知り合い、行きずりの関係を持つ話です。

第2話 花火の前のたそがれ

「ミセス・パーカー/ジャズエイジの華」(1994年)でジェニファー・ジェイソン・リーが演じていた作家ドロシー・パーカーの短編に基づいています。監督はケン・ラッセル、脚色は女優としても活躍するバレリー・カーティンです。キット(モリー・リングウォルド)がプレイボーイの恋人ホービー(ピーター・ウェラー)のアパートを訪れます。2人だけの時間を過ごすつもりだったのに、何度も電話がかかってきて、それが女性からばかりなので、キットは嫉妬心にさいなまれます。

第3話 白い象のような山

アーネスト・ヘミングウェイの短編が原作です。3つの中でもっとも有名で、日本語訳も手に入りやすい小説です。監督はトニー・リチャードソンで、「哀しみの街かど」(1971年)、「告白」(1981)などの脚本家夫婦、ジョーン・ディディオンとジョン・グレゴリー・ダンが脚色しています。スペインのある駅で、男(ジェームズ・ウッズ)と女(メラニー・グリフィス)が列車を待ちながら、何事かを話し合っています。原作では、2人が何を話しているかはぼかされ、読者の想像にまかされています。この映像化では、はっきり何の話をしているかがわかるように描かれています。ぼかしたまま映像化してほしかったです。

「女と男2」(原題:Women and Men: In Love There Are No Rules、1991年)

第1話 カンザス・シティに帰る

原作は、日本でもよく読まれているアーウィン・ショーの短編集「夏服を着た女たち」(講談社文庫)に収められています。監督と脚色は、「ザ・フロント」(1976年)の脚本家で、自身も赤狩りを経験したウォルター・バーンスタインが手がけています。ボクサーのエディー(マット・ディロン)は、妻(キラ・セジウィック)が子どもを連れてカンザス・シティに帰省する費用を捻出するため、大きな試合に出ることになります。時代背景は大恐慌のころのニューヨークで、ちょっとした台詞やセットなどの美術に、時代色がよく出ている作品です。

第2話 家庭の事情

カーソン・マッカラーズの短編小説の映像化です。原作の邦訳は「悲しき酒場の唄」(白水Uブックス)に入っています。ジョナサン・デミがプロデュースし、彼の映画にかかわることの多いクリスティ・ズィーとロバート・ブレスロがそれぞれ監督と脚色にクレジットされています。広告代理店で働くマーティン(レイ・リオッタ)には妻エミリー(アンディ・マクドウェル)がいますが、エミリーは昼間から酒を手放さず、幼い子ども2人の世話もおろそかになりがちで、マーティンは仕事に集中できない有様です。この作品は朝鮮戦争の時代が背景になっています。

第3話 マーラ

ヘンリー・ミラーの短編「マリナンのマーラ」を基に、マイク・フィッギスが脚色と監督を担当しています。作家のヘンリー(スコット・グレン)はパリの街角で娼婦たちとトラブルになっていたマーラ(ジュリエット・ビノシュ)を救ってやり、食事を共にします。自分は娼婦じゃないと言うマーラとヘンリーは路地裏で愛し合います。マーラというのは、「ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女」(1990年)でユマ・サーマンが演じたジューンと同じ女性だそうです。「ワン・ナイト・スタンド」(1997年)など、のちのフィッギス監督作品に通じるムードを持った作品です。

以上、6つの短編は、男女の会話が中心という共通点はあるものの、印象はかなりバラバラで、出来もバラつきがあります。両方とも第1話の出来がよく、見ごたえがあると思いました。ふだん映画で見かけるときとイメージの違う役柄に取り組んでいる俳優が多いのも特徴です。「ロボコップ」のピーター・ウェラーがプレイボーイを演じたり、スコット・グレンが作家を演じたりしている長編は見た記憶がありません。両者のファンには見逃せない作品でしょう。

ミステリーやSFのジャンルに属する短編を映像化するテレビシリーズはよくありますが、純文学系統の短編を取り上げる企画はひじょうに珍しいです。劇場用の長編でも、純文学の映画化に取り組む監督が少なくなりました。「女と男」に続く作品が、テレビでも劇場用映画でもいいから、作られてほしいと思います。

"Chillers/The Thrill Seeker"

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パトリシア・ハイスミスの短編小説に「危ない趣味」という作品があります。掃除機のセールスマンが主人公で、彼は一人暮らしの女性宅に上がりこんでは小さな装飾品を盗み出し、記念品としてコレクションしています。妻との仲は冷え切っていて、自分が女嫌いと自覚しているのに、インテリ風の女性を騙すことに熱中する男を描いた、不気味なストーリーです。この短編は、現在は「目には見えない何か 中後期短編集 1952-1982」(河出書房新社)という単行本で読めますが、わたしが最初に読んだのはペンギンブックスの"Chillers"に収録されていた原文でした。

"Chillers"は1990年に作られた、パトリシア・ハイスミスの短編ばかりを映像化したテレビシリーズのタイトルです。同名の本には原作となった12の短編が収められていて、テレビ番組とのタイアップで出版されました。ハイスミスは、「見知らぬ乗客」(1951年)と「太陽がいっぱい」(1960年)の原作者として日本でも知名度は高いけれど、残念ながら人気は今ひとつなので、ロアルド・ダールやレイ・ブラッドベリならともかく、<ハイスミス劇場>が海外で放送されたと知って驚きました。それ以来、いつか見てみたいと思い続けていました。

アマゾン・コムで"Chillers"の3枚組DVDがアメリカで発売されたことを知り、購入してみました。リージョンフリーらしく、日本製プレーヤーでも再生できました。ホスト役はアンソニー・パーキンス、テーマ曲はジョルジュ・ドルリューの作曲で、毎回そこそこ名の通ったスターが出ています。期待して見始めましたが、1枚目を見た限りでは期待は裏切られました。原作と離れたコメディー・タッチの誇張が目立ち、空回りしている印象なのです。

「危ない趣味」の映像化"The Thrill Seeker"を例にとりますと、まず主人公(ジャン=ピエール・ビソン)の職業がセールスマンから事典の校正係に変えられています。彼が事典を読んで得た付け焼刃の知識を披露すると、上がりこんだ家の女性は感心して彼をその分野の専門家と信じてしまいます。このあたりのやりとりが大袈裟で、笑うに笑えませんでした。原作でも、主人公はブリタニカ百科事典をほとんど読破していて、女性との会話に活かしていますが、ブリタニカはセールスマンが売り歩いたことで有名ですし、仕事がセールスだから無理なく女性の信用を得て家に上がりこめるわけで、職業設定は変えないほうがよかったと思います。この主人公は、トム・リプリーと同じで、他人になりすます能力を持っていますが、ドラマではスパイごっこでもしているかのように見えました。パスカル・ボニツェール(「ブロンテ姉妹」(1978年)、「ランジェ公爵夫人」(2007年)など)の脚色は、主人公にからむ女性の一人(マリサ・ベレンソン)について、やはり原作にない後日談を付け加えていて、これも安易な発想でがっかりしました。原作もブラック・ユーモアの要素を含んでいますが、この脚色はユーモアのさじ加減に失敗していると思います。

"Chillers"は、スタッフとキャストがイギリス、アメリカ、フランスの混成なので、台詞の一部が英語吹き替えになっています。吹き替えとそうでない部分とのトーンがちぐはぐで聞きづらいこともマイナス点です。全部が日本語に吹き替えられていれば気にならなかったでしょう。

ペンギンブックスの"Chillers"の序文で、ハイスミスは、短編小説を書くとき、最初の一文で読者を引き込むよう努力していると述べています。それは、友だちに向かって「面白いジョークがあるんだけど、聞きたい?」と言うようなものだそうです。ハイスミス作品を読んでいると、ブラック・ユーモアのセンスは感じるものの、彼女がパーティーでジョークを披露するタイプとは到底思えません。もしかすると、わたしがハイスミスに先入観を持っていて、そのせいで映像化されたものがコメディー寄りになりすぎていると感じたのかもしれません。残り2枚のDVDを見て、考えが変わったらここに書きます。今回は、続きの部分に"Chillers"で取り上げられた短編の邦訳とキャストを一覧にしておきます。

「二重結婚者」

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「ヒッチコック劇場/殺しの順番」は、旅のセールスマンの重婚をコメディーとして扱っていましたが、女優のアイダ・ルピノが監督・出演を兼ねた映画「二重結婚者」(1953年)は、シリアスな社会派ドラマとして作られています。日本では劇場未公開に終わった作品で、しばらく前からCSで放送されていたようですが、わたしは最近になってファーストトレーディングの500円DVDで見ました。

映画は、サンフランシスコに住むハリー(エドモンド・オブライエン)とイブ(ジョーン・フォンテーン)のグラハム夫妻が、養子斡旋所で必要書類にサインし終えたところから始まります。斡旋所のミスター・ジョーダン(エドマンド・グウェン)は、これから数か月かけて身辺調査をしますと言ったとき、ハリーの表情がくもったのを見逃しません。ハリーは冷凍庫を販売する会社に勤め、ロサンゼルスとフロリダでセールスを担当しています。ミスター・ジョーダンが調査を始めると、ハリーがロサンゼルスに別宅を持っていることが判明します。ジョーダンがその家を訪れると、ハリーがいて、しかも子どもの泣き声が聞こえてきました。

ここからは、ハリーがジョーダンに打ち明ける過去の出来事が、フラッシュバックで描かれます。グラハム夫妻は結婚8年目ですが、4年前、イブが子どもの出来ない体であることがわかりました。ハリーはイブに自分と同じ会社で働くことをすすめ、イブは仕事に没頭します。ハリーはロサンゼルスのホテルで週末を過ごしているとき、孤独に耐えられなくなり、バス・ツアーに参加して隣席のフィリス(アイダ・ルピノ)と知り合います。フィリスがウェイトレスとして働く中華料理店で逢瀬を重ねるうち、深い仲になってダニーという男の子を恵まれたのです。

女性の監督作品で、ビリングのトップも女性(フォンテーン)なのに、重婚者のハリーにかなり同情的に描かれているのに驚きました。ハリーは旅のセールスマンといっても、アタッシュケースにサンプルを詰めて訪問販売しているわけではなく、ロサンゼルスとフロリダの販路を開拓するセールス担当重役か何かのようで、2つの家庭を維持していく経済力があります。このあたりが、裕福な女性ばかりを結婚相手に選んで貢がせていた「殺しの順番」のダン・デュリエや「LAロー」のジョー・メイズと違うところです。

フィリスと交際を始めてしばらく、ハリーは既婚者であることを隠しています。それを打ち明けなくてはならなくなる経緯を偶然に頼っていることに代表されるように、ストーリーの構成が少し安易だと思います。ミスター・ジョーダンがハリーの別宅を見つける過程も、私立探偵小説風に凝ってほしかったところです。おそらく作り手は、隙のない脚本構成より、主役の3人から情感たっぷりの演技を引き出すことのほうを重視したのでしょう。その点では成功していると思います。「二重結婚者」は、スティーブン・ジェイ・シュナイダー編「死ぬまでに観たい映画1001本」(ネコ・パブリッシング刊)に選出されるなど、小品ながら高く評価されています。

わたしにとって、「二重結婚者」でいちばん面白かったのは、バス・ツアーの描写でした。ハリウッドの有名人の邸宅をバスの車窓から見学するもので、運転手が「右手に見えるのがジャック・ベニーの家です」などとガイドします。ジェームズ・スチュアート宅の前を通るときは、「ハーヴェイ」の友だち、ジミー・スチュアートの家と言ったりします。ゴシップ・コラムニストのルエラ・パーソンズの名前が出てきたので、コラムニストは映画スター並みに高収入なのだなと感心しました。ケッサクなのが、ミスター・ジョーダン役で出演しているエドマンド・グウェンの家まで、サンタクロース役で有名な俳優の家として紹介していることです。ハリーは、それをきっかけに「三十四丁目の奇蹟」(1947年)を見たかとフィリスに話しかけます(最初のほうのハリーとイブの会話でも、ジョーダンのことをサンタクロースと言ってます)。さらに、バーバラ・スタンウィックの家も出ますが、「深夜の告白」(1944年)での彼女の役名がフィリスだったのは偶然でしょうか。

もうひとつトリビアを付け加えるなら、この作品のプロデューサーで脚本にもクレジットされているコリアー・ヤングは、この映画の時点ではジョーン・フォンテーンの夫でしたが、前年まではアイダ・ルピノの夫でした。この3人の顔合わせで重婚がテーマの映画を作るとは、ちょっと信じがたい話です。

「LAロー "The Venus Butterfly"」の録画で重婚男を見ていて、数年前に東京で発覚したハーレム男のケースを連想したほか、もう1つ思い出したのが、再放送で見た1時間ものの「ヒッチコック劇場」のエピソードでした。1時間ものの"The Alfred Hitchock Hour"は、「ヒッチコック・サスペンス」や「ヒッチコックアワー」など、邦題がいろいろあって混乱するので、30分ものと同じ「ヒッチコック劇場」に統一させてもらいます。

"Three Wives Too Many"という原題が示すように、この話の主人公には4人の妻がいます。彼の職業がtraveling salesmanであることは、冒頭の解説でヒッチコック監督が明らかにします。解説の最後に、ヒッチコック監督が"Speaking of a salesman..."と別の話を始めようとしたところで、画面がフェイドアウトし、ドラマが始まります。最初に登場するのは、主人公ではなくテレサ・ライト(「疑惑の影」、「ミニヴァー夫人」など)扮するマリオンです。彼女がブラウンと表札の出ているアパートの呼び鈴を押し、留守をまもっているミセス・ブラウンが顔を出します。マリオンがミスター・ブラウンの仕事のスケジュールを詳しく知っているので、ミセス・ブラウンは初対面のマリオンを信用し、部屋へ通します。マリオンは、自分もブラウンの妻だと打ち明け、結婚証明書と新婚旅行の写真を見せます。女たちは、重婚男を刑務所に送ってやると意気投合し、酒を飲みながら今後について話し合うことにします。マリオンは、青酸カリをこっそり酒に入れ、ミセス・ブラウンに飲ませてアパートを去ります。

このあとようやくミスター・ブラウンが登場します。演じているのは「飾り窓の女」(1944年)などの悪役俳優ダン・デュリエで、テレサ・ライトとは「偽りの花園」、「打撃王」以来、3度目の共演です。彼は化粧品会社のセールスマンで、4つの担当区域を飛行機で飛び回っており、それぞれの土地に妻がいました。彼がマリオンに留守を預け、冒頭のミセス・ブラウンのアパートに行くと、警察が現場検証をしているところでした。警察は、ミスター・ブラウンを疑いますが、アリバイがあったので自殺説に傾きます。

マリオンが自分以外の3人を殺すつもりだろうことは、誰もが予想するところなので、ヘタをするとこれから先は同じパターンのくり返しになってしまうでしょう。しかし、2度目の殺人の場面にちょっとしたひねりが用意されていて、3度目は省略を効かせてあり、くり返しはうまく避けられています。そのあとは、マリオンとミスター・ブラウンの対決シーンとなり、主役2人の芝居をたっぷり見せてくれます。久しぶりに再見しましたが、楽しめるブラック・コメディーでした。

このエピソード(1964年放送)には原作の小説があります。「大時計」(レイ・ミランド主演の同名作、ケビン・コスナー主演の「追いつめられて」と2度映画化)のケネス・フィアリングが書いた「多妻主義者」という短編です。デビッド・C・クック編「戦後推理小説・ベスト15」(荒地出版社)に訳出されているそうです。脚色は「グレート・レース」(1965年)、「女子大生悪魔の体験入学」(1973年)、「ブルベイカー」(1980年)などのアーサー・ロス。演出は、「宇宙水爆戦」(1954年)などのジョセフ・M・ニューマンです。彼は"The Alfred Hitchcock Hour"を他にも多数手がけていて、その中には人気の高い"An Unlocked Window"(エセル・リナ・ホワイト原作)も含まれます。わたしはカラーで30分ものとしてリメイクされたバージョンしか見ていないので、ぜひモノクロ版を見たいと思っています。

ヒッチコック監督が解説の最後で言おうとしたことは何だったのでしょうか。わたしはジョークだと想像しています。ミスター・ブラウンのような旅から旅のセールスマンは、ジョークによく出てきます。<港々に女あり>的な生活を送るセールスマンのジョークも無数にあると思います。原作を書いたケネス・フィアリングも、そうしたジョークを聞いて短編のアイデアを思いついたのかもしれません。

マイケル・タッカーが「ヒル・ストリート・ブルース」にゲスト出演したのは、第5シーズンの「新主任」、「処刑」のエピソードでジル・アイケンベリーと夫婦共演したときが初めてではなく、第1シーズンの「炎の女」の回に宝石泥棒役で出たときです。このときはタッカーのみの単独出演でした。「炎の女」のエピソードで脚本にクレジットされているアラン・レイキンズは、「LAロー」でダグラス・ブラックマン役を演じた俳優で、スティーブン・ボチコの姉ジョアンナ・フランクの夫です。ジョアンナ・フランクは「LAロー」でダグラス・ブラックマンの妻シーラを演じました。つまり、「LAロー」には、プロデューサーの身内の夫婦2組が出演して、ドラマでも夫婦役を演じていたことになります。

「LAロー」がスタートしたとき、マイケル・タッカー演じるスチュアートとジル・アイケンベリー演じるアンは、同じ法律事務所に勤めていて以前から知り合いだったけれど付き合いはじめたばかり、という設定でした。"The Venus Butterfly"は、パイロット版を除くと8話目にあたりますが、このエピソードがカップルの転機になります。

スチュアートは税法が専門で、離婚や遺産相続などの家庭法が専門のアーニー(コービン・バーンセン)といっしょに、重婚罪で捕まったフォスター・トラウトマン(ジョー・メイズ)のケースを担当することになります。アーニーの台詞で、重婚は離婚弁護士にとってホールイン・ワンのようなものと言わせているところを見ると、重婚だけで珍しいケースなのでしょうが、「LAロー」は誇張した極端な事件をよく扱っていて、これもその一例なので、トラウトマンには同時に11人の妻がいたことになっています。彼は、妻Aの土地を担保に借りた金で妻Bに車を買ってやったり、妻Cが質に入れたと思っていたコートを妻Dにプレゼントしたりして、互いに面識のない11人の女性に貢がせつつ、彼女たちの間を渡り歩いていました。スチュアートとアーニーは、11人の妻を会議室に集めて話を聞き、トラウトマンの罪状を整理しようとしますが、美人で裕福だけれど孤独な女たちは、自分を愛してくれたのはトラウトマンだけ、彼に牢屋に入ってほしくない、と口をそろえます。トラウトマン側についた弁護士リネット(シーラ・ウォード)もなかなかの美女で、12人目の被害者ではないかと推測されます。

リネットに頼まれて、スチュアートは留置所でトラウトマンに面会します。彼は、頭のてっぺんが禿げ上がった冴えない男でした。スチュアートが彼に言います。「あんた、ケイリー・グラントってわけじゃないのに、どうやって11人もの女性に結婚を承諾させたの? わたしなんて1人もムリなのに」。トラウトマンは、秘密は<ヴィーナス・バタフライ>だと答えます。そういう名前のベッドでのテクニックを習得したおかげで、女性たちは彼に夢中になったのです。トラウトマンはスチュアートにいくつか質問し、彼がアンを本当に愛していると悟ると、<ヴィーナス・バタフライ>を伝授します。トラウトマンはスチュアートの耳元でささやくだけなので、視聴者には詳細は不明です。

このエピソードでは、ほかにシリアスな事件が2つ描かれて、どちらも重い結末を迎えますが、いちばん最後に置かれているのは、ホテルの一室にいるスチュアートとアンの事後の場面です。アンはスチュアートに、36年生きてきた中で最高のエクスタシーを味わったと打ち明け、スチュアートも今のは<ヴィーナス・バタフライ>というのだと打ち明けます。アンは、さっさとルームサービスを頼んで、そのあと<ヴィーナス・バタフライ>をもう1度してとねだるのでした。

もちろん<ヴィーナス・バタフライ>は脚本家がこしらえた架空のテクニックで、いわば、ヒッチコック監督が映画のプロットを説明するときに用いた<マクガフィン>の応用なのですが、このエピソードが放送された翌日から、テレビ局に「もったいぶらずに<ヴィーナス・バタフライ>がどんなものか教えろ」という問い合わせが殺到したのだとか。このあと<ヴィーナス・バタフライ>はランニング・ギャグとしてシリーズ中に何度か登場し、始まったばかりの「LAロー」の知名度をアップさせる役目を果たしました。もう1つのランニング・ギャグとして、トラウトマンの頭の禿げ具合が、アラン・レイキンズ扮するダグラス・ブラックマンの禿げ具合にそっくりというのがありました。シリーズが進むにつれ、ダグラス・ブラックマンの異母兄弟が2人出てきますが、皆、同じ禿げ方に統一されています。

"The Venus Butterfly"の脚本には、パイロット版と同じくスティーブン・ボチコとテリー・ルイーズ・フィッシャー(「女刑事キャグニー&レイシー」など)の名前がクレジットされています。このエピソードはエミー賞の最優秀脚本賞を獲得しました。演出はドナルド・ペトリー(映画「ミスティック・ピザ」など)で、同じくエミー賞にノミネートされましたが、受賞したのはパイロット版を演出したグレゴリー・ホブリット(映画「真実の行方」など)でした。"The Venus Butterfly"の評価が高いのは、艶笑小話を下品にならないよう上手くさばいただけでなく、ほかのシリアスなストーリーラインを織り込みながら、トーンをくずさずに1つにまとめあげたからだと思います。

放送から20年以上経ち、"venus butterfly"は「LAロー」を離れて一人歩きしています。現在、この言葉でネット検索すると、おとなのおもちゃを扱うサイトや性の悩みに答えるQ&Aのサイトがたくさんひっかかります。怪しげなところが多いので、見出しを見ただけでクリックはしていませんが、<ヴィーナス・バタフライ>という名前のおもちゃやテクニックが存在することになっているのは分かります。嘘から出た真、といったところでしょうか。「北北西に進路をとれ」の架空のスパイ、ジョージ・カプランが、ケイリー・グラントのおかげで実在する羽目になるという展開にも似ています。

<ヴィーナス・バタフライ>の成功は、今も影響を与えているようです。数年前、「レスキュー・ミー」という消防士のドラマに<ヴィーナス・バタフライ>が引用されていたり、昨年の秋にスタートした"Dirty Sexy Money"というドラマには<イタリア人の銀行家>という体位の名前が副題になっている回があると聞きました。どちらも未見ですが、艶笑小話は好きなので、チャンスがあれば見てみたいものです。

マイケル・タッカーは"I Never Forget a Meal"の中で、さまざまな知人を登場させていますが、いちばん興味深かったのはスティーブン・ボチコです。彼はテレビドラマ「ヒル・ストリート・ブルース」(1981~87年)や「LAロー」(1986~94年)のプロデューサーで、近年は小説(「デス・バイ・ハリウッド」文藝春秋・刊)にも手を染めています。タッカーとボチコは同じ大学で演劇を専攻した仲です。

ボチコのことは"I Never Forget a Meal"の第16章に書かれていて、まずタッカーが妻のジル・アイケンベリー(映画「新・明日に向って撃て」、「ミスター・アーサー」など)とともに「ヒル・ストリート・ブルース」にゲスト出演したときのエピソードで始まります。当時、「ヒル・ストリート・ブルース」は4年目を終了したところでした。ヨーロッパでの放送が始まるため、ボチコは仕事でロンドンに向かう予定で、その途中、舞台中心に仕事をしていたタッカー夫妻の住むニューヨークを訪れ、フォー・シーズンズで食事をともにします。タッカー夫妻は、「ヒル・ストリート・ブルース」に夫婦の役でゲスト出演してほしいと頼まれます。

2人が出演を承諾したのが、第5シーズンの1回目(新主任)と2回目(処刑)のエピソードでした。2人は都会に出てきてレンタカーで移動するうち、道に迷ったあげく犯罪に巻き込まれ、車も荷物も盗まれてしまった田舎者夫婦を演じました。ニール・サイモンが映画用に書き下ろした「おかしな夫婦」(1970年)のジャック・レモンとサンディ・デニス(リメイクではスティーブ・マーティンとゴールディ・ホーン)に近い役どころです。警察に保護され、パトカーで署に向かう途中、盗難車の追跡に付き合わされるあたりは、「ファール・プレイ」(1978年)でサンフランシスコ観光をしていた日本人夫婦のようでもあります。

「ヒル・ストリート・ブルース」は、複数のストーリーラインが同時進行する作りで、この2回分には<安ホテル作戦>という潜入捜査が出てきます。これは盗品の売買に使われているホテルに刑事たちがもぐり込み、取り引きの現場を押さえるもので、タッカー夫妻演じる田舎者夫婦は、この話に絡んできます。所持品をすべて奪われた夫婦が、犯罪被害者救済のボランティア団体に紹介されて泊まることになったのが、偶然にも同じホテルだったのです。妻は、そのホテルを仕事場にしている娼婦が、自分のドレスを着ているのに気づきます。その娼婦が実は女装した黒人男性というあたりが、スティーブン・ボチコの手がけるシリーズに共通したひねりというか、ジョークに近い展開です。「LAロー」を見ていた方ならご存知でしょうが、タッカー夫妻は<ノミの夫婦>で、ジル・アイケンベリーのほうが背が高いのです。盗品の中からホテルで売りさばかれたドレスを男性が買い、着ているところを元の持ち主に見られるという筋書きは、背の高いアイケンベリーを想定して書かれたものと推測できます。「新主任」と「処刑」には重いストーリーラインも含まれていて、タッカー夫妻の役割は暗いムードを中和するものですが、都会に出てきたとたん身ぐるみはがれてしまうというのは起きる可能性のある悲劇ですから、単なるお笑い担当ではありません。シリアスな話題とコミカルな息抜きとをうまく配合しているのが、ボチコ作品の特徴だと思います。

"I Never Forget a Meal"の第16章は、続いてタッカーとボチコが出会った大学時代の話に移ります。その中に、ボチコがユダヤ系特有の訛りを駆使しながら、80代の花婿と18歳の花嫁のジョークで学生たちを爆笑させるくだりがありました。もちろん性的な含みのある卑猥なジョークです。

「ヒル・ストリート・ブルース」のゲスト出演のあと、ボチコが再度タッカー夫妻を訪れたとき、2人を想定した脚本を書いていると打ち明けます。ボチコは、「ヒル・ストリート・ブルース」の製作会社MTM(女優メアリー・タイラー・ムーアの当時の夫が経営。ほかに「探偵レミントン・スティール」などを製作)に2人が共演するTVシリーズの提案をしたけれど断られ、次に契約する20世紀フォックスに改めて提案するつもりだと言います。その結果が「LAロー」になり、タッカー夫妻はこのドラマに出てくる性的なジョークのおかげで一躍有名になります。第16章には、その裏でタッカー夫妻がシリアスな問題を抱えていたことも短く語られていて、ドラマのような余韻がありました。

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