久しぶりのシリーズ再開です。先日、フランスのデザイナー イブ・サンローランが亡くなりました。ジバンシーと言えばオードリー・ヘップバーン、そして、サンローランの衣装はフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴの映画に多く登場します。たとえば、「暗くなるまでこの恋を」(1969)「ハンガー」(1983)「別離」(1968)「ひきしお」(1971)「リスボン特急」(1972)などです。このほとんどは、ビデオやDVDで出ていますので、レンタルでも見ることが出来ますが、1968年のアラン・カバリエ監督の「別離」だけは、初公開以後、テレビで放映されたり、CSなどで一時期放映されましたが、日本ではソフトが出ていません。
原作はあの「悲しみよこんにちは」で有名なフランソワーズ・サガンの小説「熱い恋」。翻訳本は日本でも読むことが出来ます。カトリーヌ・ドヌーヴ演じるルシールは、金持ちのミシェル・ピコリに囲われて、贅沢な暮らしの毎日を送っています。そこにお金はないが若く美しい男性アントワーヌが登場、瞬く間に熱い恋に落ちると言う物語。金持ちの男の許を去り、愛さえあればお金なんかいらないわとアントワーヌと同棲生活を始めるものの、贅沢が身についた彼女はそれに耐えられるわけもなく、シニカルな結末を迎えると言う物語です。
この映画、数年前にフランス本国で発売される前にアメリカで「heartbeat」なるタイトルで出てから、フランスでも発売されたようです。フランスの原題はLa Chamade。これはもともとは、ナポレオン時代の軍隊が打ち鳴らした降伏を告げる太鼓の音が語源のようですが、太鼓の音になぞらえて、恋に胸を躍らす、心臓の鼓動を指すようです。フランスのゲランの香水には、同名のものがあり、大変有名です。今見てみると、たわいのないラブストーリーですが、カトリーヌ・ドヌーヴの美しさが絶頂にあった時期の作品ですし、なかなか味わいのある大人の映画だと思います。また原作の雰囲気をよく伝えている映画だと思います。
「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」のフランク・ダラボン監督が、再びスティーブン・キング原作の映画化に挑んだということで、前2作の大ファンだった自分としては勇んで見に行きました。しかし、監督自身もコメントしているように今までのテイストとはかなり異なる仕上がりでハートウォーミングなイメージを持って見に行くと、ものの見事に裏切られます。宣伝文句のラスト15分云々は、あくまでも映画のオリジナルとのこと。但し、キング自身のお墨付きだとか。
色々なレビューを読むと賛否両論が激しく、自分自身もそこまでやるかとあっけにとられて帰ってきたしだいで、万人におすすめかと言われるとちょっと躊躇してしまいます。
但し、キングの原作をこよなく愛する人にとっては、キングの小説の根底に流れる漠然とした不安感や、拭い去ることの出来ない、深い悲しみや絶望感など、このテイストはかなりキングの持ち味を伝えていると思いました。また、ネタバレになるので詳しくは言えませんが、「遊星からの物体X」やヒチコックの「鳥」、楳図かずおの「漂流教室」などのホラーのエッセンスが盛り込まれており、そのあたりのファンの方にはおすすめかもしれません。
めったにお目にかかれないが、何か見えない不思議な力によって作られたような作品に出会うことがある。若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は、まさにそんな一本だった。190分という長編ながら、時間を忘れて気がついたら一気に見終わっていた。その圧倒的な迫力とテンションは、生死すら賭けているのではないかと思えるほどの若松監督の鬼気迫るパワーがこの作品にこめられているからだが、それ以上にその当時革命を夢見て、無念の死を遂げた若者たちの悲痛な魂が監督にこの作品を撮らせたような気がしてならなかった。
あさま山荘の事件をテレビで幼少期に見た記憶がある自分ですら、あらためてこの作品に描かれている内容に愕然としてショックを受けた。それは、まるでアウシュビッツから生還した人々の証言を聞いた時のように、当時の生き証人が語る真実の重みがある。この作品が国内外で賞を受けるほど評価されたのは、その時代の状況を決して偏向した視点でなく、冷静にその事実を描こうとしている姿勢、そして何よりもそこにいつの時代も抱えている社会の矛盾や、それに抵抗しようとする人間のたくましさ、そして理想と現実の落差を目の当たりにした時の人間の苛立ちや苦悩、絶望感、それが故に罪を犯す人間の愚かさなど、普遍的なテーマが切実に観客を訴えているためだ。
この作品や、昨年のカンヌ映画祭受賞作「4ヶ月、3週と2日」もそうだが、これらの作品は、ある時代の一局面を舞台にそこに生きる若者たちの生きざまを描くことで、我々に生きることの意義を考えさせてくれる秀作であり、多くの人たち、特に若い世代の人たちが見るべき作品だと思う。ところがである、数々の賞を受けるほど、評価されている作品ながら、東京都内でこれらの作品を上映している映画館がひとつしかないのである。ハリウッド大作のように、同じシネコンで同時に上映しろとは言わないが、せめて都内の数ヶ所で同時公開されても、不思議ではない映画だ。決して一部の人しか理解できないような難解な作品でも、マニアックな作品でもない立派な作品である。何とも変な話である。
毎年発表されるキネマ旬報をはじめとする映画のベストテン。ここ数年、それらの作品をどれくらいの人間が劇場で見ているのだろうか?一般の人がベストテンの作品リストを見ても、そのような映画が一体、いつ頃上映されていたのか、その存在すら知らない人が大勢いるような気がしてならない。もはやそれらベストテンは、業界人と一部のマニアックな人々のためのものでしかないのか?一般の人たちは、いたるところで上映されている宣伝の派手なハリウッド映画や、テレビ局がバックについた邦画などをマスコミに煽られるように見に行くだけである。
こうした日本での興行形態の歪みの根底には、映画をひとつの文化としてみなしていない風潮があるからだろうか?最近、映画上映に関する気になったニュースがあった。ひとつは様々な事情により「靖国 YASUKUNI」」の上映中止する劇場が出たと話題になると、当初よりも公開する劇場が増えたという皮肉な出来事。その一方で六本木のシネコンでは人気若手俳優の作品をすべてのホールで同時上映するイベントがあり、全国からファンが集まったというトピック。決してその俳優の出演した映画がダメとは言わないが、立派で快適な劇場がいくつもありながら、上映すべき隠れた名作は他にもあるだろうと思う。作品の質は二の次で、とにかく客が集まりそうだと聞けば、とりあえず集客して後はDVDをどうぞという現在の興行システムは、あまりにも観客をバカにしている。そのことは 先日ヒストリーチャンネルで見た岩波ホールの高野悦子さんのドキュメンタリーとNHKで見たロバート・レッドフォードのインタビュー番組でも、同様の憂いを述べており、やはり現在のアメリカの興行システムや風潮の悪い部分の影響が日本にも起きているような気がしてならないのは自分だけだろうか?
昨年のフランス映画祭で上映され、その後年末に一般公開された「夜顔」は、1967年に製作されたルイス・ブニュエルの代表作「昼顔」の38年後のエピソードが描かれている。この映画の何よりも驚くべきことは、「昼顔」でアンリ・ユッソンと言う重要な役回りを演じたミシェル・ピコリが、再び同じ役を演じていること。そして、この映画のオリヴェイラ監督は、なんと今年100歳になるということ。おそらく現役の映画監督では最高齢だろう。
もちろん独立した作品としてみた場合、この映画の主題を探そうとすれば、人の心の内部と言うものが永遠に謎であることや、真実と言うものの不確かさなど、人生の秘密や不可思議を見事に描いている作品だ。しかし、前作の「昼顔」や他のブニュエルの映画を未見の観客にとっては、70分と言う中編映画とも言える上映時間でのセリフのやりとりなどだけで、この作品を十分に楽しもうというのは、むずかしいかもしれない。それほどまでに、本作品は38年前の「昼顔」のための見事なエピローグに仕上がっており、そこにはブニュエルへのオマージュに溢れている。
ブニュエルが生涯かけて描いたテーマのひとつは、痛烈なブルジョアジー批判である。ブニュエルは、上品に気取る彼らの内面に潜む低俗さや醜悪さを暴き出す。ピコリ演ずるアンリはその象徴的な存在であり、「夜顔」においては、主人公はセブリーヌでなくアンリであると言っても過言ではない。彼の悪魔的とも言える本性はこの映画の最後に暴かれるのだ。(フェルナンド・レイという俳優もまた、他のブニュエル映画である「哀しみのトリスターナ」や「ビリディアナ」の中で同様の役どころを見事に演じている。)
また「昼顔」に登場する小道具が本作でも登場する。前作で東洋人が娼館に持ち込む謎の小箱。開けると羽虫のような音がするが、それが生き物なのか、何かの仕掛けがある小道具なのか、まったく観客には分からない。しかし、他の娼婦たちがそれを見て顔をしかめて逃げ出す場面があり、何らかの性的な道具なのかもしれないことを暗示する。この東洋人の登場によりセブリーヌは、完全に快楽の道に陥るのである。「夜顔」では、アンリが骨董屋で同じ箱を偶然に手に入れ、これをセブリーヌに贈ることで忌まわしい過去の記憶を甦らせようとするのである。
「昼顔」はカトリーヌ・ドヌーヴの代表作の1本であり、ピコリと共にドヌーヴもまたセブリーヌ役を演ずることは可能であったはずだ。「昼顔」を見たものなら、ドヌーヴへのオファーが無かったのか気になるところである。しかも、オリヴェイラ監督の「家路」では、ドヌーヴとピコリを起用している。オファーがあって、ドヌーヴが断ったのか、あるいは最初から別な女優にセブリーヌ役を演じさせようとしたのか?真相の程は分からないが、興味深い話がひとつある。
「夜顔」は映画の冒頭で、ブニュエルと共に「昼顔」の原作を共同で脚色したジャン・クロード・カリエールにこの作品を捧げているが、彼はブニュエルと数多く仕事をしている。ブニュエルの遺作「欲望のあいまいな対象」もまたカリエールがシナリオを手がけている。この映画は、初老のブルジョア紳士をあのフェルナンド・レイが演じ、2つの顔を持つ女に翻弄される物語なのだが、なんと映画の中で同時進行でまったく別な女優が同じ役柄の女性を演ずると言う大胆な演出方法が取られた。「昼顔」のセブリーヌもまた夫を精神的には愛しながらも、肉体的には他の男に身をゆだねるという二面性を持ったヒロインであり、「夜顔」において、まったく別な女優がセブリーヌを演じたとしても不思議な話ではないのである。
先日、クロード・ルルーシュの「男と女」(1966 フランス)が大好きと言うフランス映画通の素敵なご婦人とお話をしていた時、話題に出た映画が「パリのめぐり逢い」(1967 フランス)です。「男と女」がカンヌ映画祭のグランプリを受賞し、世界的に大ヒットした翌年に製作されたこの映画は、フランシス・レイの音楽とともにクロード・ルルーシュが最もその才能を開花させたピークの作品だと思います。
イヴ・モンタン演ずる人気テレビキャスターが、キャンディス・バーゲン扮するトップモデルと不倫の恋に落ち、妻(アニー・ジラルド)を裏切る。すべてを察した妻は身を引き、男はバーゲンとの新生活を始めるが、破局が訪れる。傷心の男は再び妻の許へ会いに行くが・・・。という、今となっては超メロドラマなんですが、アフリカロケを敢行したルルーシュの流麗なカメラワークや芸達者な俳優陣の大人の芝居に切ないため息をもらした人も多いはずです。
私は何年もこの映画を見ていませんでしたが、あまりにも有名な映画なので当然ソフト化されていると思い込んでいました。しかし、この映画、どこのDVDのお店にもないし、レンタルビデオ店にもないとのお話でした。そこで調べてみると、公開以来ビデオを含めて全くソフト化されていないようで、今日本では全く見られない状態なんです。それならフランス本国なら出ているだろうとアマゾンなど調べても一切なし。唯一ソフト化されているのは、なんとロシア語の字幕付でフランス語版のみ。何かの版権の関係で発売できないのでしょうかね?モンタンが車のフロントガラスの雪をはらう見事なラストシーン。一度見た人なら忘れられません。
ブログを久々に書かせていただきます。カムバックシリーズ第4弾は「失われた地平線」(1972 イギリス)です。「雨にぬれても」やディオンヌ・ワーウィック、カーペンターズのヒット曲など60年代から70年代に活躍した名コンビ、作曲バート・バカラック、作詞ハル・デビッドが手がけたミュージカル映画です。オールスターキャストの70ミリ大作で、ピーター・フィンチ、リブ・ウルマン、オリビア・ハッセー、マイケル・ヨーク、ジョージ・ケネディ、サリー・ケラーマン、ジョン・ギルガットにシャルル・ボワイエと言った顔ぶれ。幻の理想郷、シャングリラを舞台にしたこの物語は、「チップス先生さようなら」で有名なジェームス・ヒルトン原作のミュージカル映画化作品です。日本では1937年にフランク・キャプラが監督した通常の劇映画版はDVD化されていますが、この72年のミュージカル化作品は、ロードショー公開以後、名画座でもほとんど上映されぬまま、ビデオもDVDも発売されなかったので未見の方も多いはずです。以前にアメリカではビデオが出ましたが、今では入手不可で、唯一輸入版でサントラが手に入るだけです。サントラを聞いていただければ分かりますが、ミュージカルナンバーはどの曲もバカラックらしい親しみやすい名曲ばかりです。(アマゾンで一部の曲は視聴出来ますのでぜひ聞いてみて下さい。)私自身が好きなナンバーは、まず、シャングリラに住む歌姫ハッセーと、文明の国のキャリアウーマンのケラーマンが、掛け合いでお互いの立場をうらやむ「Things I Will Not Miss」というナンバー。ハッセーが「自分にいらないものはあり余る太陽の光よ」と唄うと、ケラーマンが「太陽の光はいくらあっても足りないわ。」と返すと言った具合。他に好きなナンバーは、売れないコメディアンのボビー・バンが、シャングリラの子供たちに教える「Question Me an Answer」で、答えから質問を考えようというとってもユニークな唄です。学ぶことの楽しさを生き生きと唄い、サビでは「知識は君たちを自由にしてくれる。」というナンバーで、他の曲もハル・デビッドの作詞がシンプルかつ心に染みる歌詞となっています。サントラを聞くと映画で使われなかったナンバーも入っており、DVDが出ればこの辺の未公開シーンなんかも盛り込まれるのではないかと思いますが、まずは映画館の大きなスクリーンで見たいです。ちなみに、公開当時の劇場は、今となっては伝説と化した京橋のテアトル東京でシネラマ方式で上映されました。
1973年 イギリス映画 原題は「A touch of class」。イギリスの名女優グレンダ・ジャクソンと、アメリカの芸達者な俳優ジョージ・シーガルが共演する大人のラブコメディの佳作です。劇場公開以後、その後テレビ放映もされたと思いますが、なぜか日本ではソフト化されていません。(写真はアメリカで発売しているDVDです。)公開当時しか見ていないので、細かいディテールまでは覚えていないのですが、雨の日のタクシーの奪い合いで、見知らぬ男女が知り合い、不倫関係が始まると言うコメディです。つい最近、この映画のサントラCDを偶然に見つけて思い出した映画です。全編、大人のライトコメディと言う感じで結構笑える映画ですが、ジーンと来る場面もあり、ほろ苦い余韻を残すしゃれた作品でした。ジョージ・シーガルはこの手のコメディは得意とする俳優ですが、グレンダ・ジャクソンは、ケン・ラッセルなどの作品でシリアスなイメージの強い硬派の女優だったので、こういう映画の役柄がかえって新鮮でした。非常に洗練されたセリフが交わされる映画だったと記憶しており、きっといま見た方がもっと楽しめるのではないかと思いますが、見ることができません。
第1弾の「フォロー・ミー」早速反応がありましたので、調子に乗って第2弾行かせて頂きます。今回の映画は「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」(1971年アメリカ)です。
まず監督はハル・アシュビー、「シャンプー」「さらば冬のかもめ」「チャンス」などの名監督、ジェーン・フォンダ主演の「帰郷」はアカデミー監督賞にノミネート。脚本を書いたコリン・ヒギンズは、その後「9時から5時まで」や「ファール・プレイ」などコメディの名監督となりました。この映画の脚本は芝居の戯曲としてとても有名で日本でもたびたびお芝居では上演されています。(ちなみに自分は紀伊国屋ホールでモード役北林谷栄、ハロルド役ピーターこと池端慎之介で見た記憶があります。)映画では、モード役をルース・ゴードン。この人は「ローズマリーの赤ちゃん」で、アカデミー助演賞を得たほどの名女優。ハロルド役のバッド・コート、当時「マッシュ」「いちご白書」などに出演した個性派若手俳優です。これを見て、この映画がただものでないと思った人はかなりの映画通かもしれません。このキャストを見ただけでも絶対に見たいはず・・・。
自殺願望の強い孤独な青年が、生命力あふれる一人の老婆と出会い、生きることの意味を教わると言うこの映画は、青年がその老婆に恋して、果てはベッドインしてしまうというくだりが、当時センセーショナルを引き起こしました。しかし、実際に映画を見ると不思議なことにとても自然に描かれているためにほとんど違和感を覚えません。希望に満ちたラストシーン。こんなに自由ですてきな映画はめったにありません。
この映画は、1971年当時ロードショー公開された後も、いわゆる名画座でもあまり上映されぬまま、期限切れとなってしまい、日本の劇場のスクリーンではほとんど映写されていません。その後、NHKで放映されたことがありますが、それ以外は目に触れることがありません。アメリカでは、DVDで発売されていますが、日本ではビデオでもソフト化されたことはないはずです。ぜひぜひ、リバイバル公開をよろしくお願いします。
「Come Back To Me!」・・・。これは「ある日どこかで」(1980 アメリカ)の冒頭シーン、クリストファー・リーヴ演ずる若きプレイライター、リチャード・コリアーが、ある日突然見知らぬ老婆から古い懐中時計を手渡された時に言われる台詞です。今ではアメリカだけでなく、日本でも熱狂的なファンサイトが出来るほど知名度のある映画ですが、日本初公開時、ヒット作「スーパーマン」(1978 アメリカ)の主演男優が出演していたにもかかわらず、観客が入らす、わずか2週間でロードショー公開が打ち切られました。その後、名画座等で見た観客のクチコミが無ければ、おそらく忘れ去られてしまった幻の映画となったことでしょう。同様に、1988年に「グレート・ブルー」の題名で公開されたリュック・ベンソンの代表作「グラン・ブルー」も同じ運命を辿りました。これらの映画はまだその後、陽の目を見ただけでも幸せな映画だと言えます。世の常で、必ずしも実力のあるものだけが頭角を現すと限らないように、映画の世界でも大した映画でもないのに、傑作だ、名作だと騒がれてヒットする映画もあれば、良い映画なのに運悪く、埋もれてしまう映画も実はたくさん存在するのではないでしょうか?
今ではレンタルソフトやDVDのショップに行くと「一体誰が見るのだろう?」と思うようなマニアックな映画までDVD化されているというのに、無いものねだりと言えばそれまでなんですが、自分がもう一度みたいなあと思う映画に限ってDVDが出ていないことが多いのです。そんな経験、みなさんにもありませんか?ここでは、DVD化やリバイバル公開して欲しい、まさに「Come Back To Me!」と切望する映画についてお話ししてみたいと思います。
さてその記念すべき第1回目は、「フォロー・ミー」(1972 アメリカ)。アメリカ映画とありますが、ロンドンが舞台のイギリスの映画です。監督は、あの「第三の男」で有名なキャロル・リードで、これが彼の遺作となりました。サスペンスを得意とする監督ですが、この作品は今の言葉で言えば「癒し系」のほのぼのしたコメディ映画です。ミア・ファロー演ずる若妻の不貞を疑う会計士が私立探偵を雇って尾行させますが、その探偵がおよそ探偵らしくない変な男で、これを演ずるのが「屋根の上のバイオリン弾き」のテビエ役のトポル。ジョン・バリーのほんわかしたメロディーの乗って、2人がロンドンの街中を練り歩くシーンは何度見ても楽しくて、なぜか見てる方が幸せな気分になります。当時エクセントリックな役が多かったミア・ファローですが、自分が見た彼女の映画の中で、一番チャーミング。
人間の心の鼓動に耳を澄ませば、愛に言葉はいらないというメッセージがしみじみと伝わってくるこの映画、大好きな人も大勢いるようです。周防監督の「Shall we ダンス?」(1996 日本)で、役所広治の妻が浮気調査を依頼しに柄本明の探偵事務所に行くと、その壁には「フォロー・ミー」のポスターが。周防監督もこの映画をこよなく愛する一人に違いありません。テレビでは何度か放映されたものの、出来ればスクリーンでもう一度見たい1本です。リバイバル公開を望みます。
ブログを書くのは初めてなので、稚拙なところもあるかと思いますがお許し下さい。毎日何となく思いを書き綴るというより、無理のないペースで、映画に関するいくつかのテーマを決めて、アトランダムに書き綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。





















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れーめん on Comeback to me! あの映画よもう一度 vol.3 ~「ウィークエンド・ラブ」: こんにちは。この映画
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れーめん on Come Back To Me! あの映画よ もう一度 Vol.1~「フォロー・ミー」: そうです。どちらも同
風 on Come Back To Me! あの映画よ もう一度 Vol.1~「フォロー・ミー」: 色々と反応がありうれ
れーめん on Come Back To Me! あの映画よ もう一度 Vol.1~「フォロー・ミー」: こんにちは。はじめま
坂田勝俊 on Come Back To Me! あの映画よ もう一度 Vol.1~「フォロー・ミー」: 「Come Back